2022年2月24日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(トルコその5

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
-------------------------------------------------------------------------------------------

【セルチュクで7泊するけどトルコはもうお腹いっぱいなのです】

乗り継ぎで一瞬だけ立ち寄ったイズミールはエーゲ海の真珠と呼ばれている。そこから南に下ったクシャダスもエーゲ海に面したリゾート。僕が滞在しているセルチュクはクシャダスから北東に向かって少々の場所。エフェス遺跡に最も近い町。
しかし何だ。毎日が無気力でニョ~ンてなってる。目と鼻の先にあるエフェス遺跡に行くにも何もしない一日を挟んで義務感で行った様な状況。

エフェスには宿から徒歩2分以内のオトガル(バスステーション)から乗り合いのバンが出ているが、時間だけは膨大にあるので散歩も兼ねて徒歩で。僅かに蝉が鳴いている。最近の最高気温は37~39度。もう暑い所へ行くのはよそうと考えていたがトルコがここまで暑いとは想定外だった。

どこかで見た景色の中をとぼとぼと45分歩いて遺跡入口に到着。入場料25リラ。

写真の様に修復がある程度進んでいる物もあるが、どこも概ねぶっ壊れている。

正面だけが残っていて張りぼてみたいになってる。

かつて栄えていたであろう緩やかに続く石の坂道とキッチリ破壊された建物の群。

エフェス遺跡の敷地は広く、一部発掘作業中や修復中で進入禁止の場所もあるのでかなりの規模になりそうだが、見学可能な場所をゆっくり歩いて見て回るのにおおよそ2時間くらいあれば十分だと思う。
上の写真以外の場所も一通り行ったがジロジロ舐めまわす様に見学するべきもの無し。地面に転がっている大量の瓦礫に僅かに残る彫刻もチェケしたが同様。

上品で洗練された西洋系の建築に魅力を感じないのはナゼか。建物だけでなく人や植物の彫刻も無機質全開なのが原因か。石だからというだけでは不十分な何かが有機的な循環を拒否している感があり、僕はそれが気に食わない。
もしかしたらここが人の住む場所だった時はそうじゃなかったかもしれない。繰り返される人の営みが石の建造物に血を巡らし、それが人の営みをより鮮やかなものにしたかもしれない。どうだかな。僕がそれを推測するには遺跡が破壊されすぎているし、それを埋め合わせる知識も足りていない。
現時点で僕にとってこのエフェス遺跡は、引出しの奥から偶然見つけた虚しく砕かれた蝉の抜け殻みたいに寂しい場所。アンコールワットに行った時にも書いた気がするが、遺跡の「遥か昔しに捨てられた物が痛ましく朽ち果てて今だにそこにある虚しさ」が苦痛でならない。それをロマンで誤魔化すしかないのだ。無残である。

翌日は一日ゴロゴロしようかと思ったが、前日の遺跡から引きずってきた残留物に脅迫される様にクシャダスへエーゲ海を拝みに行った。
クシャダスへは乗り合いバンで5リラ。街は大きい。完全にビーチリゾート。

エーゲ海は(というかクシャダスしか知らないが)波打ち際の浅い所は涼しく抜ける様なエメラルド色で遠くは深く澄んだ青。綺麗だ。エーゲ海だけの事はある。

城壁の様な物が残る小さな島からクシャダスの街を。

僕はブランドにありがたみを感じない。目前に広がる海がエーゲ海である事に感動は無く、僕にとってのエーゲ海は単なる綺麗な海であり、むしろこんな所を何するでもなくふらついている事に若干の後ろめたさを感じるのみで何とも言えない気分であった。

エーゲ海よりもこの魚ちゃんとか。

飲料水を売る牛に「おぉっ!」となった。この二つを発見できたことで随分と心が救われた気がする。

エフェス遺跡にあった看板のマークで、巻き付いた側の蛇が手当てしているのか噛み付いているのか謎な所も僕の気分を少しだけ晴らしてくれた。他国でも救急車がこのマークを付けて走っているのを見た記憶があるから、この蛇は傷を癒しているのかしら。それとも血清ありますマーク?


【セルチュクで7泊するけどトルコはもうお腹いっぱいなのです2】

今イズミールの空港で待機中。ベルリン行きは明朝8:00発だが、セルチュクからだとバスも電車も始発で出ても間に合わないので前日から空港入りしたという訳だ。地方の空港にしては大きいのでベンチで一泊するのも問題なさそう。

トルコ最後に残りのセルチュク滞在について書いておこう。

セルチュクを散歩中に見晴らしの良い所でくるりと辺りを眺めると城があった。宿から10分で行けそうな距離にあるのに今まで全く気が付かなかった。

面白そうなので行って来た。入場料は8リラだったか。
かなり期待していたのに城は立入禁止。見学できるのはボコボコにぶち壊されたこのエリアのみ。入る時は「8リラ安っ!」だったのに直ちに「金返せコノヤロー!」になった。

破壊前は立派な城だったのだろう。水道橋が向こうの山へ伸びている。

日を改めて次はエーゲ海の真珠と呼ばれるイズミールへ行ったが、時間と交通費の無駄だった。この時計塔しか撮ってないくらいしょぼい。海はクシャダスの方がまだ見応えがある。似たような街並みにも、どこに行っても同じ物しか売ってないバザールにも飽き飽きである。

靴磨きのおじさんだけがカッコ良かった。

セルチュクにて。今朝はやけに騒がしいと思ったら土曜市らしい。普段はガラガラの小さいセルチュクの町が隙間無く店で埋まっている。まとめ買いする買い物客も多く、車輪付きの買い物カゴを一杯にしながら巨大な市場と化した町をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。

野菜屋とか果物屋とか服屋とかジャンルごとに大雑把に区分けされている。中にはトマトだけとかサクランボだけを大量に並べている店もあったりして、桃だらけの店には酸味と甘味が完璧なバランスの完熟桃の香りが充満しているので非常に良い深呼吸スポットになっている。

そして安い。産直だからか。これだけ買っても2リラ(約90円)だった。


【セルチュクで7泊するけどトルコはもうお腹いっぱいなのです3】

土曜市で売っていたトルコおっさん人形。可愛いような可愛くないような。

良い感じのキモさ。

セルチュクで毎日食べていたサラミ・エッグ・チーズサンド。3リラ。トルコではこの手のサンドイッチ物は店によって当たり外れが大きい気がする。ハズレの店はケバブがパッサパサだったり、具が少なくてほぼパンだったり。写真のこれはうまい。

土曜市でなくとも何軒かの八百屋が毎日露店を出している。そこでサクランボや桃やリンゴなどを1キロ単位で購入し、部屋にこもってモグモグするのが主な楽しみだった。

これまで訪れた国もそうだが、かなりの頻度で商店やらバスの運転席まわりやら民家にも国旗を見る。当然、国の施設であれば掲揚された立派な国旗がはためいている。
日本ほど国旗を見ない国は無いんじゃないか。国歌斉唱を拒否ったり国旗掲揚で起立しなかったりする気違い公務員が存在する国も無いように思う。

感電注意のマークを「電骨」と呼ぶことにした。ドクロに電気のデザインはよくあるけどディテールがそれぞれ違うので面白い。

今暇なので今日何したか記しておこう。
10時過ぎに起床。宿の屋上で朝食(宿代に含む)を一時間以上かけて食べる。
食後、レセプションへ行って夜まで宿泊を延長する交渉。割引ならずだが一泊25リラだと思っていたのに20リラだった。部屋はドミトリーということだったがシングルベッドが二つの部屋をほぼ一人で使っていたので得した気分。宿泊代を確認せずに六泊した僕も僕だが、宿側も僕が何日泊まったか把握しておらず「えーと何日泊まったんだっけ?」と支払いの際に尋ねられた。この緩さはセルチュクの気候がそうさせるに違いない。
部屋で昼過ぎまでゴロゴロ。土曜市見学に行く。ついでにいつものサンドイッチ屋で昼食。部屋に戻ってインターネット。
18時になっている事に気がついてシャワーと荷造りを慌てて済ませ、iPhoneが満充電にはるか届かないままチェックアウト。
駅から電車で空港へ。空港で残りのトルコリラを何に使おうかと考えつつ、これを書きながら今。不毛な一日だ。ギョレメを出てからずっとこんな調子。非常に良くない。「きっと面白くない街が続いているからだ。ベルリンに行けば良くなるはず。」と今は考えている。

つづく
--------------------------------------------------------------------------
その他の写真








奢られるメモ
イスラム教国を旅行していると奢られることがある。レストランで食事をして代金を支払おうとすると「お前が食べた分は既に支払われた」と言われるのである。
イスラームの教えでは「困っている旅人に手を差し伸べる」を推奨しており、「観光客の食事代を勝手に支払う」もこの範疇にあるようで、「お前の分は俺が支払っておいたから」とも言わず立ち去るため誰に奢られたか不明であることが多い。(トルコでは「俺の奢りだから」と前置きがあることが多かったかも?)
イスラム教の戒律が厳しい国ほど奢られる確率が高い。
緩めのイスラム教徒が多いトルコでは女性の方が奢られ率が高い傾向があり、日本人女性かつ美人が最高待遇になる条件の様だった。
ある日本人美女の旅行者は「トルコのレストランで支払った記憶があまりない」だけでなく「ホテルの宿泊費が自動的にディスカウントされる」こともしばしばで、「行く先々でされると逆に気後れするよね?」と同意を求められたが「そんな経験をする人は稀だ」と言っておいた。
トルコにおいて、田舎ほど旅行者を歓迎する意識が強く、逆にイスタンブールの様な観光都市では詐欺の可能性が高い。特に日本人は騙しやすいらしいので注意。

次回:ドイツ

2022年2月17日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(グルジアその2

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
-------------------------------------------------------------------------------------------

【エレバンからクタイシへ】

エレバン駅からトビリシ駅までの国際列車が出ているのは偶数日。午後10時35分発。車両は非常に綺麗で、僕らは4500ドラムの三等座席だったが作りが寝台用なので普通に横になって眠れる。揺れも少ない。
深夜に国境で起こされるが手続きは車内で行われるため、寝転んだままパスポートだけ渡してハンコを貰って終了である。つまらないくらい万事快適。てゆーかマジでつまらん。

午前9時頃にトビリシ駅着。

トビリシ駅のフードコートにあった。なぜ牛にサメがコバンザメみたいにくっついているのか。何かの伝承を元にしているのか。
写真を撮っていたら警察官に注意された。中国やインドみたい。サンドイッチ屋のカウンターにくっつけてある「女牛鮫」の飾りがそんなに重要なのか。

駅舎の三階から出たところにあるバスターミナルでバンに乗り込みクタイシへ。これも順調に運行されて約4時間でクタイシⅡ駅着。目指すはスリコ・メディコの家。
グルジアに行った旅行者が口を揃えて言う。
「スリコ・メディコの家はグルジア旅行のハイライトだ」

一泊二食付きで25ラリと安宿にしては高いが、料理のうまさと無限に出てくる自家製のチャチャ(出来立てはアルコール度数約80%と言っていた)とワイン、それとオモシロ爺さんのスリコと優しいメディコ婆さんによってむしろ割安感がある。非常に快適で心置きなく飲んだくれる環境が整ったこの場所は、ある意味グルジアで最も地獄に近い場所と言える。一歩誤れば滞在中酒を飲んだ記憶しかない状態に陥るだろう。
今日はスリコ不在だったが早速しこたま飲んだ。自家製のワインは口当たりの良い白ワインでサクサク飲めるし、チャチャは胃が燃えるので数杯で危機。ここに酒を楽しく飲ませる達人と言われているスリコ爺さんが明日加わるとどうなってしまうのか。

クタイシへ移動中、休憩で立ち寄ったパーキングの便所。右の記号に胸がある様に見えるから左が男子便所だと判断したが正解は右側。

ええオヤジ。


【クタイシはスリコ・メディコの家で】

スリコ・メディコの家は三泊で終了する事にした。宿は文句無しだがクタイシの街はトビリシ同様に何も無いつまらない所で、それにトルコのイズミール発ベルリン行きの航空券をついに買ってしまったので早めにトルコ入りする。航空券は全部込みで100ユーロ。安い。
しかし航空券を買う時はいつもそうだが、購入後のあの切ない気持ちは何だ。虚しさと寂しさと期待が混ざり合うあの感じ。

クタイシでは3時間だけ観光した。

街の綺麗な所はこんな感じ。裏通りは舗装をしていた形跡が何となく確認できる程度にボコボコ。つまりトビリシと一緒。

一番の見所の教会は修復中。お手上げだ。クタイシ観光への意欲が霧散した。

街の書店にてカッコ良い児童向けの図鑑を発見。街がしょぼいので、こういう物を探すくらいしかする事が無い。

ハンドマッサージ屋?
写真とは関係無いが、iPhoneで「はんどくりー」と入力すると以前は「ハンドクリーム」ではなく「ハンドクリーニング師」という謎の予測変換候補が表示されていた。現在は修正されたようだ。

バザールの路上本屋。グルジアのおばさんは迫力がある。おっさんには無い。

バンパー無しの自動車が珍しくないグルジア。あとバスのフロントガラスが大きくひび割れている率80%。

明日はイズミール直行便でグルジアからトルコの西、エーゲ海沿岸に一気に行ってしまう。酒を飲むと「メディコ!メディコ!愛してるよ!」と言いながらチュッチュしようとするスリコ爺さんと、言い寄るスリコを照れながらフォークで刺して追い払うメディコ婆さんを見ながら自家製ワインを飲む生活も今日で最後。


【クタイシからイズミール直行便】

余ったグルジアラリを消費しようとバス移動中のオヤツとタバコを4箱買ったがたったの8.1ラリ(約400円)だった。しかもタバコ一箱につきライター一個という謎のおまけ付きで余分にライターが4つも増えてしまった。残金はまだあるが買う物がない。それにこれ以上買ったらバッグに入り切らないので両替屋で残りの23ラリをトルコリラに替えた。グルジアではあまり外を出歩かなかったので意外とお金が余った。

トルコのトラブゾンから二週間一緒だったヒカル君とはここでお別れ。彼はイスタンブールからエジプトへ向かい、そこからアフリカの東側を縦断するらしい。五体満足で無事帰国する事を祈る。一方僕はイズミールへ向かう。30時間程度の長時間移動は久しぶりだ。トルコのバス会社なので楽だろう。55ドル。

ヒカル君は30分前に出た。僕のバスは13:30発なのにまだ来ない。なので木に彫られたおっさんを撮る。(6/16 14:06)

グルジア-トルコ国境から見た黒海。40分遅れで到着したバスに乗り込みウトウトしているうちにトルコ。

グルジアとトルコの間で。

トルコの入国手続きで長蛇の列になっている中、4人組のグルジアおばさんがじわじわ僕を抜かして前に割り込もうとしていたので注意したら「お前がもっと前に行けよ」というような内容の不安定な英語で言い返してきて、さらにこっちを見ながらおばさん同士でヒソヒソ何か言いつつ小馬鹿にした様にニヤついている。国ごと滅べ。くそグルジア。

----- 中略 -----

どうもやっとトラブゾンっぽい。(20:53)

夜が明ける。もうすぐアンカラかしら。(トルコ時間5:02)

寒い。16度しかない。内陸部の明け方は冷え込む。昨日まで30度くらいあったからよけいに。(5:36)

首都アンカラ通過中。街の規模ではイスタンブールの方が圧倒的だし冴えない所だ。立ち寄らなくて良かった。(8:25)

暇。こんな景色にもとうに飽きてトルコ語吹替のアメリカ映画を5本観尽くした。吹替は日本みたいに役者ごとに声優をあてがうのではなく、一人のおっさんが役者の口の動きなどお構いなしにマイペースに棒読みする。トルコ語で意味分からんし声が耳障りなので音声オフで鑑賞。BGM無しだと盛り上がりにかけるが馬鹿でも分かる単純ストーリーなので問題無し。(9:54)

そうそう、トルコって日本では超親日国のイメージあるけど実際はそうでもないので気をつけましょう。日本が好きといっても日本製品やボンヤリした日本人像に好感を持っている程度がほとんどで、親切な人が多いのは間違いないが、観光地で観光客相手に商売をしている輩の中には特に日本人とか関係無しにモンゴロイドを小馬鹿にしてくるクズトルキッシュあり。陽気で馴れ馴れしい無礼な奴。インドのデリーやバラナシの日本語で声をかけてくる客引きと比べたらクソ度は落ちるが、インドは街がゴミ溜めみたいなので汚れ具合に応じて不思議とイラつきが中和される。ところが一方トルコでは綺麗に整備され文化的な香りのする街によって下衆トルコ人のクズっぷりが対比される形で強調され、インドとは逆にイラつきが実数より増してしまう。結果的に僕の体感ではトルコ人の方がウゼーのである。トルコ人は皆親日だと思い込んでいた頃は土産屋の声掛けにも一々応じていたが今では基本無視。僕は陽気で雑な人間が大嫌いなので旅行するなら他人に警戒心の強い中国が今のところ最高。
あと騙しの手口も巧妙で、インドや東南アジアみたいに露骨にかつゴリ押しで引っ掛けてくるのではなく、初めは親切に接して、時には食事を奢ったりもして、こちらの気が緩んだ時に大きく騙してくる上級詐欺師も少なくない。(10:57)

外は35度。バスから降りたくない!(15:32)

イズミールで一泊してからエフェス遺跡に近いセルチュクまで行こうと思っていたが、思った以上に早くイズミールに着いたのでこのままセルチュクまで行ってしまう。バンで移動開始。9リラ。(17:05)

セルチュクの宿にチェックイン。まずはシャワーを浴びて睡眠すやすや。(18:25)


つづく
--------------------------------------------------------------------------
その他の写真





グルジア飲酒メモ
「グルジアで酒を断るのは挨拶できないのと一緒ですよ」とはグルジア長期滞在中だった日本人旅行者から頂戴した有難い教えその1。
スリコ爺さんお気に入りの飲酒グッズ
Drinking Horn(角杯):牛などの角で作った酒器。自立しないので酒を飲み干すまで手を離せない。注がれたら一気飲みが基本。
ハンドベルの杯:ベル部に酒を注ぐ。自立しないので酒を飲み干すまで手を離せない。注がれたら一気飲みが基本。飲み干したら陽気にベルを鳴らす。

2022年2月10日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(アルメニアその2

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
-------------------------------------------------------------------------------------------

【アルメニア美女を探して3】

アルメニア最終日。丘に建つ修道院からアララト山を見渡せると聞き午前中に見に行った。

修道院が建つ丘の下には墓地がぼちぼちあるが、墓石に死者の顔、中には全身像を彫ってあるものもある。

何ていう修道院だか忘れたが、遠くまで広がる平野にポツンと建つそれは遠距離からも確認でき、さらに背後にそびえるアララト山によりアルメニア百景の上位であるのは間違いないと思われる。ただし雲がかかっていなければの話し。

ガスって遠くが霞んでいる上に雲で隠れてしまっている。左が小アララト山で右が大アララト山。ネパールやインドでもヒマラヤがほとんど見えなかったし山運が無い。祟りか?

帰り道でモーモーと牛飼いに遭遇。iPhoneの起動が遅くて中途半端な写真になった。

バスが来ない系。仕方が無いのでトルコ以来の旅の相棒ヒカル君とトボトボ歩きながらヒッチハイクし、何とか大きい道路に出て別のバスで帰れたが、日によって行きのみで帰りの便がなかったりする事があるらしいので要注意。

午後3時頃から一人でエレバンの中心街を散歩。規模はほどほどだが面白い物は特に無い。

パラジャーノフ美術館を見つけたので入った。入場料700ドラム、写真撮影許可料700ドラムと少々お高いが大当たりだ。僕の中ではアルメニアでダントツの面白スポット。

パラジャーノフの事は良く知らないが小さな館の中には力作がひしめいている。

コラージュが大好きなようで平面と立体の作品が館内に展示されているが、ソ連に妨害されながらもいくつか映画を残しているらしい。その内の数本が日本語字幕版で流通しているらしいから帰国してから探してみようと思う。


【アルメニア美女を探して4】

パラジャーノフ美術館を出て散歩再開。

アルメニアのカラオケは危険なのではないか。

何屋か知らんがオシャレな入口。

ソ連の残り香。

日本製に偽装した商品がバザールで売っていた。防虫剤か。パッケージ右側の一番上に「品質の信念」とある。いや、そもそも「せんり」とは何だ。

大聖堂。もうコーカサス系の教会は飽きた。

食欲をそそられないレストランの看板。

鉄板多めの民家の外壁。グルジアのトビリシもそうだったが小綺麗に整備された表通りと裏通りの貧民街の差は大きい。

エレバンに飽きたので夜行列車で再びトビリシに行く。予定ではトビリシからグルジア西側のクタイシへ移動、数日滞在した後トルコへ戻りドイツに飛行機で飛ぶ。
インドを出てから退屈な毎日が続いている。トルコもグルジアもアルメニアもそそられる物が少ない。英語がほぼ通じないのを除いて不便な事が無いのも旅行の楽しみが少ない理由になっている。精神が非常にぼんやりして良くない。何とかならないものか。

そう言えばアルメニア美女はどこに隠れているのか。極稀にオゥフ!って思わず声が出るような美人がいるが、概ね酷くデブなおばさんかどうでもいいレベルの姉ちゃんばかり。
舐めてんのかクソが!とグチっていると、同じ宿に滞在していた18歳の日本人レオン君(アルメニア人とのハーフ。男前)が「美人は少ないけど不細工がいない」と言う。確かにそうだ。美人ではない人も皆顔面を構成する個々のパーツは整っている。よく見ると単に配置が美人のバランスに達していないだけであり、全体的に美人の比率は高くないにも関わらず人間離れしかかっている人を僕は一人も見ていない。つまりこうだ。「アルメニアは美女だらけ」ではなく「アルメニアには不細工がいない」これが正解。たぶん。

つづく
--------------------------------------------------------------------------
その他の写真







アララト山メモ
ノアの箱舟が漂着したとされる。
アルメニア人にとってのアララトは日本人にとっての富士山の様な存在らしいが、現在は敵対関係にあるトルコ領にある。