2021年9月30日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその7

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
-------------------------------------------------------------------------------------------

【アウランガバード休養日】

アウランガバードの一日目は休養しようと思っていたのに動き回ってしまった。トラベラーズチェックを両替し、WiFiの使えるインターネット屋を探して(一時間20ルピーでダントツの最安値)、駅に切符を買いに行く。たったこれだけだが10km以上は歩いたはずだ。今日はこれに加えて暑さと連日の列車移動による疲労で熱が出て寝込んでいる。

搾りたてオレンジジュースが飲みたいが、しんどくて外出したくない。

二日目の朝から調子が悪かったがずっと寝るのも勿体無いので、エローラ石窟群に宿で相部屋になったインド人のチェンマイと一緒に行くことにした。
彼は25歳、プネー出身、建築士だったが半年前に退職し南インドを中心に勉強も兼ねて遺跡や寺院を巡っている。近い将来に建築士として再出発するらしい。彼は今まで出会ったインド人の中で最も知的だ。

セントラルバススタンドから路線バスで約1時間、24ルピー。

インドバスはいつも通りのボロさ。座席のクッションは留具が壊れて簡単に外れる。

バスはエローラ石窟群の入口正面で停まる(たぶん)が、僕らはその先の寺院の近くまで乗った。グリシュネーシュワル寺院という名前だったと思う。インド各地にあるシバを祀った寺院の中でも上位の部類に入る。熱心なヒンドゥー教徒であるチェンマイの勧めで、ここに参拝してからエローラへ行くことになった。
異教徒も入場可なのでチェンマイと一緒に入る。外でサンダルを預け、寺院の本堂の入口で上着を脱ぐ。作法を知らないのでチェンマイがしていることを真似てみる。建物は大きくないが、代表的なシバ寺院だけあって雰囲気があり、気合の入った信者も多い。

寺院の周辺には「バクシーシ」と声をかけてくる人が沢山いた。喜捨しろ、金よこせ、と言うのだ。本当の意味はもっと聞こえの良い意味だったと思う。僕は乞食のタカリはもちろん、バクシーシに対しても1ルピーも渡した事が無いし、これからもそうすると思う。

----- 中略 -----

特にインドは何千年もかけてヴァルナやジャーティ(いわゆるカースト制度)を構築してきたのであり、外から見ると単なる差別社会に映っても実際は絶妙なバランスで不可触民にいたるまでそれなりの生活は保証されている。路上で生活している人達も店屋で飯を買い、時には買い物袋を下げて歩いていたりする。物乞いをする時は悲劇的な演出をして喜捨を募り、足りている時は気ままにゴロゴロできる。外国人の自分が彼らに何かをする必要は無い。旅行して外貨をインドに落としている事で十分だ。「インドの事はインド人同士でやりな」と思うし、既にそうしている。
思い切り話しが逸れたついでにこれまで行った国の物乞い事情について書いておこう。
まずは中国。システム上乞食が存在しない事になっている社会主義国でありながら、乞食がいない街は無かった。そして乞食と言っても飢え死にしそうなのはいないと言って良いだろう。他の多くの国でもそうだと思うが、中国の乞食は組織化されており、種類も豊富。ボロボロの服を着た子供や老人を使ってお金を集めさせて後でボスが徴収する。どこかから死にかけの老人を連れてきて路上に布団を敷いて寝かせ、同情を誘う文章を印刷した紙を雨が降っても大丈夫なようにラミネート加工して貼り出し、夜になれば老人と紙とお金を撤収する。家族ぐるみや個人営業もいる。電車の中を夫が携帯カラオケセットやバッテリー内蔵のアンプ付きスピーカーを担いで悲しげな歌を爆音で下手くそに歌いながら赤ちゃんを背負った妻と一緒に練り歩く。寒い吹きっ晒しの道端であえて半裸で寝そべってプルプル震え続けて稼ぐ体を張った営業をする人や、毎日同じ所で朝から日暮れまでひたすら泣き続ける老婆もいた。驚くべき事にこれらの乞食達は低所得の労働者より稼ぎが多かったりする。豪邸を建てた有名な乞食成金まで存在するという話しだ。
一方、東南アジアでは飢えない。一年中バナナやマンゴーが勝手に実り、川や海では魚が捕れるし、種を撒けば自動的に稲が育つ。そんな豊かな環境が前提としてあるから生きて行くのに働く必要があまり無い。田舎では特に一日中寝たり昼間からビールを飲んでいる男が目立つ。そんな人間が「日本人は金持ちだから金よこせ」と言ってくるのだ。もしこいつらに今の日本人と同じ労働を強要すれば、一カ月かからずに殺すことができるだろう。
「金を持っていない=努力しても稼げない」ではなく「お金が無くても生活できる」だっりするし、「乞食=金を持っていない」でもない。

----- 中略 -----

エローラに行った話し。石窟群ではチェンマイと別行動をとり、一通り見終わったら一番の目玉である16番の遺跡の前に集合する事にした。僕は発熱で動きが遅いし、チェンマイは写真を撮るのにじっくり時間をかけるので歩調が合わないからだ。

1番の遺跡から順にまわるが、番号の若い遺跡はしょぼいのが多かった。

稀にいい感じの部屋。

猿多め。

16番の遺跡。ここだけダントツで凄い。

凄いと言っても本来の凄味からは相当劣化している模様。彫刻した石の上に漆喰で装飾、彩色されていた様で、部分的に残っている痕跡を見ても岩が剥き出しになった部分との落差がかなりある。

野生のインコ発見。

ゾウで一杯。

20番目くらいの遺跡を見た段階で体力に限界がきた。どちらかと言うと番号の前半より後半の方が見応えがありそうだったが諦めて集合場所で待機。
陽射しがきついので木陰のレンガに座るが焼け付いて熱い。火傷をするほどではないので熱にうなされながら横になっていたが、体調は悪化する一方。チェンマイは来ない。
実はこの時既にチェンマイは帰路についており、僕は閉門時間の18時を過ぎて外に締め出される18時半まで待ち続けた。彼は14時頃に集合場所に戻ってきて30分待った(彼曰く長時間待った)後、僕が先に帰ったと思ったのだそうだ。酷くなった発熱でヘロヘロになって20:30にホステルに戻った僕を見て「こんな時間までどこに行ってたんだい?」と陽気に声をかけてくる彼にイラっとしたが、これは文化の違いというやつか。なぜ僕を待たずに先に帰ったのか詰め寄ったが話しにならず、僕はすぐに意思疎通を諦めて体を洗って寝込んだ。
チェンマイはとても良い奴だ。彼は僕が深い眠りについていた今朝、次の街へ旅立った。疲れと苛立ちでろくに挨拶もせず眠ってしまった事を少し後悔している。

エローラで待ちぼうけをくらっていた時は辛いだけでもなかった。暑さで寝ていられなくなって朦朧とした意識で座り込んでいると頻繁に声を掛けられる。「顔色が悪いが大丈夫か?」ではない。「一緒に写真を撮って下さい。」である。子供達や若者の集団や家族でやって来て「キャナイテイクユアピクチャー、サー?」(インドではsir付けで声を掛けられる事が多い)と尋ねてくるので「OK」と答え、「国はどこ?」「インド好き?」とお決まりの質問に答えながら記念撮影をこなしていく。十組以上と記念撮影した。撮影後には皆握手を求めて来る。インド人女性は控えめなので握手してくるのは女の子くらいだが、男は子供からお年寄りまでもれなく求めてくるので何かのイベントの握手会みたいになってる。嬉しかったけど疲労困憊なので回避したかった。でも見えづらい場所に移動するとチェンマイからも見えなくなるというジレンマ。
例外として「記念撮影(僕は含まない)をするのでお前の帽子を貸してくれ。」と言ってきたインド先輩一名。

帰りに見つけた蝶。

今日は一日中ぐったりしていた。手ぬぐいに水を含ませておでこにくっつけている。アウランガバードは超絶乾燥状態にあるので、こうしておくだけで気化熱でおでこヒンヤリになり気持ち良い。


【アウランガバード→アフマダバード鉄道旅行】

4:30に起床。体調は思うように回復しない。アウランガバードから通おうと思っていたアジャンタ遺跡群とサイババの町シルディ(最近亡くなったのはサイババの生まれ変わりとされていた人で本家はこちら)に行けなかったのは残念だが、インド旅行は二カ月程度の予定なので潔く次の街へ移動する。
5:00に宿を出て、乗り合いオートリキシャにインド先輩二人と乗り込み、一人20ルピーであっという間に駅に着いた。これから一旦ムンバイに行きアフマダバード行きの切符を買わないといけないが、外国人枠の座席が余っている事を期待しよう。(5:33)

本日もチャイ安定。うまうま。(5:48)

右の山の頂上がぴょこんとなってるの気になる。(7:35)

線路のそばでウンコを生産中のインド先輩多数。行き交う列車を眺めながらの朝ウンコは案外爽快なのかもしれない。(8:59)

担々麺が食べたい。(11:12)

ムンバイはゆとりが無い状態で訪れると非常にムカつく街だ。大都会とズタボロの貧民街が混在し、大通りから裏路地まで5秒以上真っ直ぐ歩けないレベルで混雑している。人の肩や担いだ荷物がガンガンぶつかってくるのは混み具合を考えると仕方がない?が、発熱と頭痛を抱えた状態ではムカつかざるを得ない。

ほぼ渋滞中の大通りから外れると、片側一車線の道の両側にずらりと自動車とバイクと木製の荷車が並び、真ん中に残った一車線分の道幅でトラックやらタクシーやらが強引にすれ違おうとする。さらに追い打ちをかけるように僅かな隙間を見つけては人々が雪崩れ込むので、道に残った隙間は無いに等しい。歩道に避難するとそこには山羊と犬と人が同じくらいリラックスして寝ていたりするので踏まないようにジグザグ歩行になり、障害物の構成は違うが歩行難度に大差は無い。

インド人は中国人と良く似ていると思う。違いと言えば、インド人は馴れ馴れしく(フレンドリーに?)近寄ってくるが、中国人にはそれが無い事ぐらいか。大きな声で話す人が多いし、路上で唾を吐きまくり、ゴミは街中や列車の窓からもごく当たり前に捨てる。中国においては中共の方針によってこれらの事態は急速に強引に改善されていっているので、一見インドの方が民度が低く見えそうだが実際は似たり寄ったりだろう。ゴミ回収車を集めて街にゴミをぶちまけた様な状態を、中国はパッと見綺麗に見せようとする不自然さが、インドはそのままぶちまきっ放しの自然さがそれぞれ面白い。
いや、やはりインド人の方が民度が低いな。特にムンバイは下衆の宝庫。念のため多くの人がそうではないと断っておく。しかし白人がいじった街がこうなりがちなのはなぜだ。

何とか21:45発アフマダバード行きの切符を確保できたが、この過程で腹が立つ事が多過ぎ、思い出しただけでチケットカウンターの職員の口にカレー粉を詰め込んで下から顎を突き上げたくなるので書かない。

クソ職員の予定外のブレイクタイム(カウンターを一時的に閉める時間はそれぞれのカウンターに掲示してある)のおかげで夜行列車になってしまった。時間ができたので近場で楽に行けそうな場所を探す。

マハーラクシュミ駅横の洗濯屋街。ホテルのシーツ等の大口客がメインかと思いきや、個人からの依頼と思われる洗濯物が多い。しかしここは治安に難ありな上、洗濯場の床にバシバシ叩きつける洗濯法なので高価で繊細な服はボロキレと化すだろう。外国人無用の地か。

今はムンバイ・セントラル駅内のベンチで時間を潰しているが、五分前から野良犬の喧嘩が続いている。
今のところインドの駅舎の中で野良犬を見なかった事が無い。この点に関して中国では捕食対象になるので野良犬が少なくて良い。(19:43)

蚊が多いので駅舎内のマクドナルドに逃げ込んだ。旅行では早くも二度目のマクドナルドになる。アンチマクドナルド派寄りの僕だが、一度は安食堂を抜いて街で最安値だったビッグマックを旅費の節約のため香港で、そして今はマハラジャバーガーを食べるために積極的に入店している。

一度は食べたいマハラジャバーガー、セットで149ルピー。インド的にはクソ高い。
トレーに敷かれた広告のドナルドはターバンではなかった。そもそもターバンは人口の2%以下(たぶん)のシーク教徒しか身につけないからマイナーではある。
して、味の方は。カレー味。お見事。これは通常メニューのビッグマックに相当するが牛肉は使えないから鳥肉になっている。それ以外はビッグマックと同じ構成だ。ただしソースに混ぜられたマサラたちが完全に味を支配してインドから僕を開放してくれない。(20:47)

しかしムンバイ・セントラル駅では嫌な奴と良く遭遇する。
トイレの入口で二十歳ぐらいの若者が「俺は片足が無いんだよ。金よこせ!」とヘラヘラ笑いながらチンピラみたいなやり口で、友達と一緒に出入りする人にたかっている。僕にもたかってきたので「片足が無いくらいでたかるな」と日本語で言うと「ネパリーは金をくれない。ケチだ。」などとネパール人バッシングを始めた。僕は平凡な日本人顏だと思うがそんなにネパール人ぽいのか?方法と態度が気に食わない物乞いだった(22:10)

そろそろ到着か。夜が肌寒いというのは久しぶりだ。外は霧で景色が霞んでいる。(6:11)

チャイ売りが現れない!どうなっているのか。(6:20)

6:40にアフマダバード駅着。駅付近で宿を探すがどこも満室で困った。オートリキシャの客引きに連れられて駅から2km離れたあたりのホテル街でもほぼ満室で、僕はインド旅行でダントツの最高値800ルピーの宿に一泊することになった。客引き曰く、今アフマダバードに有名な医者だか宗教指導者だかが来ていて大盛況中らしい。なんというタイミングの悪さだ。ここでゆっくりしようと考えていたのに早々に観光を済ませて立ち去らないとお金が無くなってしまう。(8:45)

つづく
--------------------------------------------------------------------------
その他の写真






シーク教メモ
現地では「スィク(シク)」と発音。現在の日本でも「シク」と言うようになったようだが旅行当時は「シーク」と表記するのが一般的だった。
日本人がイメージするインド人男性像は頭にターバンを巻いているが、「インド人ぽいターバン」を巻いているのはシク教徒だけ。
シク教徒でも宗派によってターバンを巻かない者もいる。

0 件のコメント:

コメントを投稿