2021年10月14日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその9

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
-------------------------------------------------------------------------------------------

【デリー食べ歩き】

今日はデリーでかなり飲み食いしたのに写真を撮るのを忘れていた。 昔から安宿街として有名なメインバザール(パハールガンジ)は食堂の価格が高い傾向があるが、その代わり美味い店が多い?朝一で食べたチーズ入りのドーサは80ルピーもしたが味は高いだけのことはあった。
まだ少々熱があるが胃腸の調子はすこぶる良いので、とにかく食って治そうということで朝食後すぐに有名なラッシー屋に行った。

少年と青年の狭間くらいの歳で店を切り盛りする彼らのラッシーは美味い。ビッグサイズのラッシーが20ルピー。他にもバナナ入りやリンゴ、ぶどうなどのミックスもできて何度でも通える店だ。

満腹で宿に戻る途中、50人ぐらいのインド先輩達が密集して騒いでいたので暴動が始まったのかと思って近づいたが違ったようだ。近くにいた人に訊いたが僕の英語力では理解出来なかった。何かを主張する集会の様な物だと思う。テレビ局のバンが一台停まっていた。

街角の小さなお堂。表情がこれまでと違う。

隣にはサイババ爺さん。

デリーの旧市街はゴミ多め。

デリーのジャマーマスジット(街で一番重要なモスクをこう呼ぶらしく各地にジャマーマスジットがあるらしい)は入場料200ルピー、カメラ持ち込み料200ルピーなので入るのをやめた。せっかくなので、そこらで遊んでいた少年を集めて写真など。

東門の前は土産物屋で埋まっている。これは外れの方で、中心部は人でごった返していた。絨毯や寝具の店が目立った。女性服の店には派手な生地が並んで華やか。

礼拝が始まった。スピーカーからアザーンが流れて人々が足早にマスジットの中へ。


【デリー食べ歩き2】

マスジットからの帰り道。機械屋や金物屋が多い。路上でエンジンをバラしていたり、オートリキシャのメンテをしていたり。

ニューデリー駅前の食堂では店前で客の呼び込みをやっていた。首都だけあって活気のある街だ。

メインバザールに戻って夕食を取る。お腹には鳥肉が残ったままだが、グリーンピースのカレーとチャパティ4枚を食べた。超満腹。

締めは朝行ったラッシー屋で。クソ美味い。

その他、チャイを3杯ほど、行く先々で。だいたい7ルピーが相場か。チャイで分かる各地の物価。

デリーはムンバイ並みにごちゃごちゃしているが悪い印象は無い。ハエの数が群を抜いて多いが案外過ごしやすいところだ。スリを一人返り討ちにした以外は特に危害を加えてくる輩はいなかった。インターネット屋もWiFi1時間30ルピーと良心的で良い。

去年だったか、メインバザールの道がコンクリートで舗装された様で、その影響か野良牛が少なかった。

デリーでは一泊のみで明日はアムリトサルへ向かう。


【アムリトサルに行くとターバンに囲まれる】

デリー→アムリトサルの列車に乗ったとこから異変が起こった。インド先輩達が写真の様な人ばかりなのだ。
シーク教徒は背が高くてがっちりした体格の人が多く、頭に色とりどりのターバンを巻き、そしてウザイ。インド人のウザ度の平均値を1インドとした時のシーク教徒のウザ度は1.5インドくらいか。体がでかい上に狭い二等座席でふてぶてしく股を開いて座ってリラックスするのが好きなのだ。「お前の足を引っ込めろ」と手で軽く押してやれば「おぉスマン」と一時的に改善されるが、それも時間の問題。この点はノーマルタイプのインド先輩を強化した感じ。

7時間程度で到着したアムリトサル駅からサイクルリキシャで黄金寺院へ。
シーク教徒多すぎワロタ。シーク教の聖地だけのことはある。ターバンを巻いていないことが恥ずかしいと思うほど男は皆ターバン着用済み。

今回の宿はシーク教の巡礼宿。寺院の南東にある宿泊施設の外国人専用ドミトリーは無料で、チェックアウトの時に寄付金として好きな金額を払う。もちろん払わなくても良い。僕は二泊して100ルピー渡した。

と、ここまで書いたが出来事の前後関係がはっきりしなくなってきた。また下痢で丸一日寝込んでしまったのだ。黄金寺院では無料で食事を提供しており、それを昼夜と食べて腹が痛くなった。回転率が世界一かもしれない食堂(と言うか座る用の30cm幅の絨毯を何筋も敷いてあるだけの何も無いだだっ広い空間)で大勢のインド先輩と床に座って、係りの人が次々と器に飛び散らせながらカレーやら甘いミルク粥を注いでくれる、まるで精進料理のような不味い飯を食べたのは良い経験になったが。
そこから丸一日寝たきりで、飯を食わずに日本から持参したポカリの粉を通常の二倍に希釈してちびちび飲み続けた。これでほぼ治ってしまった。大塚製薬凄い。

シーク教徒には七つ道具の様な物があって、ターバン、ナイフ、鉄のブレスレット、小さな櫛などなどを身につけている。宗派によってターバンを巻いてなかったりとかいろいろあるっぽいが概ねこんな感じ。
刃がついているか分からないが、中には刃渡り70cmはありそうな刀を帯刀していたり、盾を背負って甲冑で完全武装した人もいる。そんな方々がいそいそと黄金寺院に参拝しにやって来るので、ここだけインドであってインドではないような、しかしインド以外のなにものでもないような、そんな奇妙な雰囲気がある。
また、シーク教徒だらけのこの街では基本的に全エリア禁煙になっている。シーク教では戒律で喫煙を禁じているから道端に吸殻が一切落ちていない。

黄金寺院の中。白い建物に囲まれた中庭は池になっていて信者はここで沐浴する。この池には鯉がいる。そして回廊の角ごとに飲み水を提供する場所があって、そこで食器を洗った排水が池に流されているので綺麗な池だとは言えない。
池の真ん中にある黄金寺院の本殿には純金が使用されているらしい。中にはシーク教の御神体である聖典が祀られ、そこで歌と演奏が常に奉納されおり、その音声が寺院全体に放送されている。

黄金寺院の入口の床。ナマズ、鳥、亀、花。

壁にはいかにもインド人な絵(象嵌)。

警備担当者は槍装備。

一部床を修復中。セメントを大理石の床で練るあたりが流石インド先輩と言わざるを得ない。日本人には無い発想だ。観察していると回廊のあちこちにセメントが床にこびり付いたままの所がある。

下痢腹を抱えたままパキスタンとの国境であるワガへ乗り合いタクシー(ミニバン)で夕方のセレモニーを見物に向かう。

ここでは毎夕、両国の国旗を降ろすセレモニーが行われているが、まるでお祭り騒ぎだ。気合の入った兵士のミュージカルの様に滑稽な程大袈裟な動き、スポーツ選手の様な白い服のお兄さんの音頭で「ヒンドゥスターン!ヒンドゥスターン!」と観客も大騒ぎ。パキスタン側はインド側より人数が少ないが賑やかさでは負けていない。両国のプライドのみが火花を散らすイベントだ。
外国人は眺めの良いVIP席に通される。パスポートチェックが何カ所かあるので必携。なお、タバコやライターやマッチ、その他怪しげな物は持ち込み不可なので、ボディーチェックで見つかると道端に投げ捨てられる。とられていなければ帰りに拾えるが。

始まりから終了まで30分くらいか。ずーっと盛り上がりっ放しだ。乗り合いタクシーで往復80~100ルピーで行けるので一見の価値あり。

乗り合いタクシーで一緒になったシーク教徒の若者三人と意気投合し、アムリトサルを立つ直前まで一緒に過ごした。黄金寺院への参拝を夜と朝で二度、イギリス軍によるシーク教徒虐殺があった公園に参りに行き、彼らの泊まっている部屋でゴロゴロしたり、ターバンを巻いてもらって外をウロウロしたり。

アムリトサルのあるパンジャブ州の挨拶を教えて貰った。パンジャビーでナマスカール(ヒンディーの丁寧な挨拶)に相当するのが「サースリアカール(Sat Shri Akal)」だそうだ。

他に何があったか良く思い出せないので、気になった事を幾つか記しておこう。
ワガ国境のセレモニー会場はハエ多め。
黄金寺院に入る参道に足を洗う水を溜めた場所があるが、シーク教徒は皆が足を洗ったその水を手ですくって軽く口に含み、吐き出さない事から飲んでいると思われる。で、残りは額や頭にかける。僕は額や頭にかけることはできても口に含むことは出来なかった。
シーク教徒同志は結束が強く、よく道端で立ち止まり挨拶を交わす姿を見かける。道が混んでいるとウザイ。
インド全体に言える事だと思うが、既婚女性は、いわゆるおばさんは、デブばかりだ。サリーの隙間からナンセンスな幾重の肉を見え隠れさせながらノッシノッシとゆっくり歩く。その上気ままでトリッキーな動きをする。右へ曲がりたいと思えば周囲を確認する事なく突然曲がり、止まりたいと思えば混んでいようがいきなりピタッと止まる。直進したければ正面の人を無理矢理掻き分けて突破し、デカイ荷物を背負ったまま急に振り返って他人にぶつけようとも意に介することは無い。シーク教徒(男性)を抜いて2インドのウザさである。

つづく
--------------------------------------------------------------------------
その他の写真

メインバザール

デリーの商店街

ワガ国境。奥の黒い軍服がパキスタンの兵士。

一緒に過ごしたシク教徒の青年と私。映っていない撮影役一名も彼らの友達。

夜の黄金寺院。

黄金寺院では本殿だけでなく別の場所でも演奏が行われることがよくあった。

ヒンドゥスタンメモ
「ヒンドゥスタン」はインドの別名で意味は「インド人の国(土地)」
広くはバングラデシュ、ネパール、パキスタンを含むインド亜大陸全域を指す。
ヒンドゥー語は「インド語」、ヒンドゥー教は「インド教」の意でおおむね合っていると思われるが、語源はペルシャ語でインダス川を意味する「ヒンドゥー」から。
ヒンドゥー=インダス川とその向こう側(ペルシャから見て)
インド(India)もヒンドゥスタンも外からの呼び名(日本におけるJapanに相当)で、正式名称はバーラト(バーラタ)。

0 件のコメント:

コメントを投稿