2021年12月9日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその14

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【カトマンズからダージリンへ】

まだカトマンズ。

インドでも稀に見かけたがサイクルリキシャーに傘装備。良く見るとペプシのペットボトルにラッパをつけてホーンにしている。これもインド的。

バス停にて、ネパールの郵便ポスト。DIY精神丸出しなところが良い。

バスの発着場にて、スクーターをバスの屋根に積み込む作業。ネパールでは大きな荷物は屋根に載せるが、スクータークラスの重量でも運んでくれるとは恐れいる。

バスは午後4時過ぎに出発してインドとの国境カーカルビッタまでいつも通り鋭く車体を揺らしながら夜の峠を低速でかっ飛ばして行く。
カトマンズを出て数時間後、気温が徐々に上昇してきた。恐らくルートがカトマンズから一旦南下し、気温と湿度が高めのインドとの国境沿いを通って東へ向っていたのだと思う。気温が高いと言ってもバラナシの40度超えの暑さには遠く及ばないが、最高気温が30度以下で乾燥したカトマンズの快適環境からだと蒸し暑く感じる。それでも巨体のインド人と闘ったポカラ行きのバスと比べたら楽なものだ。長距離であればあるほど、狭いバスの座席においてお隣さんは重要である。

翌朝の8時過ぎにカーカルビッダ着。露店のチャイ屋でネパール最後のチャイをすすりつつ、隣のタバコ屋で残りのネパールルピーをククリ(タバコ)2パックを買って使い切っておいた。両替屋は沢山あるが、どうせレートは悪いだろうから何かを買った方が得だろう。

ネパールのイミグレをすんなり通過し、いよいよインド再入国に向かおうかという時に一人の白人女性に声を掛けられた。私もダージリンに行くから一緒に行きましょうと誘われたのだ。こういう事は良くあるが、その度に西洋人の積極性に感心する。20代前半の彼女はオーストラリア人のカリーちゃん。
一緒にネパール側のゲートを越えて1km先のインド側のイミグレまでテコテコ歩いて行くが暑い。日本の梅雨明けくらいの気温と湿度か。彼女もカトマンズから一晩でここだから同じくらいに暑がっていた。長距離移動が続く旅行は次々に四季がデタラメに変化するのが面白いが、春秋冬から夏へ変化する時は少々辛い。
汗だくになりながらインドのイミグレに到着。問題の二カ月ルールだが、僕のダブルビザがしっかり効力を発揮してくれて「一回目の再入国だね。今回でフィニッシュだ。」と入国管理官もビザの意味を把握してくれて無事インドへ戻る事ができた。

国境からダージリンへ向かうには、乗り合いジープでスィリグリーへ、そこで別のダージリン行きのジープに乗り換える。ジープの運賃はスィリグリーまで50ルピー、ダージリンまで120ルピー。値段交渉はほぼカリーちゃんがしてくれた。恥ずかしながら僕はたまに口を挟む程度で「カリーちゃん中々やりおるわい」と思いながらお手並みを拝見していただけだった。

ネパール側でも国境近くになるとそうだったが、ダージリンまでの道沿いには茶畑が延々と広がる風景に度々出くわす。人々も穏やかそうで、さらにネパール系の人が目立つからインドらしくない。路上のゴミも少なめだ。やはりインド人の少ない場所ほど綺麗になる傾向あり。

スィリグリーからダージリンまで4時間くらいかかったか。地球の歩き方には約3時間とありバスもスィリグリーから出ていると書いてあるが、どうも道が一部壊れているみたいでジープしか運行していない様だった。一時間ほど余分にかかったのも、途中でメカトラブルでジープを修理したのに加えてバスが通れない蛇行した細い道を走り続けたからみたい。
思っていたより長かったが無事ダージリン着。標高が2000mちょいの場所だけあって肌寒い。夏からいきなり春先に逆戻りした感じ。僕にとってはベストに近い気温だ。通りを歩く人々もネパール系に加えてチベット系も目立つ。純度の高いインド人が少ないのは非常に良い事である。込み上げる怒りを「ここはインドだから」と抑圧する必要が全く無いのは精神衛生上ベリーグッド。やはりインドは南部か北部山岳地帯に限る。

少々困った事が一つ。成り行きでカリーちゃんとツインルームをシェアする事になった。
第一候補にしていたプレステージという宿はシングルが満室でツインルームしか空いていなかったが、中を見ると綺麗な部屋にセミダブルのベッドが二つ、ホットシャワー&トイレ付き、停電と低速のためほぼ使い物にならないがWiFi有り、テレビまである。部屋のグレードを考えると、ここはやはりインドではないのではないか、という疑いが濃厚になってきた程だ。オンシーズンで値上がりした500ルピーの部屋だが、250ルピーずつの割り勘でシェアしましょうとカリーちゃんが言ったから僕はOKと言わざるを得ない。カリーちゃんが不細工でガサツだったら即断で拒否したが、それとは真逆だから困った事になった。

疲れていたが少し街をぶらついてみた。大変良い予感。まずチャイがスペシャルだ。紅茶の本場だけあって5ルピーのチャイからも上品な茶葉の香りが立つ。凄い!飯もチベット系の店が多く、ネパールでもお馴染みのモモが安くてうまい。マクロードガンジのモモカフェやポカラで一番のお気に入りだった露店のモモを超えかかっているうまさの店を見つけた。

土産物屋が並ぶ通りは大勢の人で混雑していたがイライラしないタイプの賑やかさ。商品の価格も良心的だと思う。ダージリンは先入観通りの居心地の良い場所であるのは間違い無い。


【ダージリンが素敵すぎる理由を記述しよう】

ダージリンに来て三泊目の夜を迎えた。カリーちゃんとあっちへ行ったりこっちへ行ったり観光に大忙しなせいか時間が経つのが早い。ふとトルコ行きを思い出してインド滞在が後9日しかない事に気が付いて焦る。

ダージリンはインドではない印象がマクロードガンジより強い。それはなぜか。まず街がインドにしては綺麗な事。次にネパール系、チベット系の人が多い事も大きな理由だ。とにかく清々しいくらい人当たりの良い人ばかりだし、インド人の口から「アイムソーリー」が発せられるのは滅多にない経験だが、ここではすれ違いざまにぶつかっただけでもアイムソーリーを聞くことができる。狭い通路で道を譲ってくれるのも、同じくインドでは有り得ないと思っていた。山の尾根に形成された年中暑くない気候がそうさせるのか。

ダージリンに着いてからせわしなく動き回っていたから既にめぼしい場所は行き尽くしてしまった。ここではそれらを掻い摘んで順に追っていこう。

ダージリンからスィリグリーまでトイトレインが走っている。名前の通りおもちゃみたいな列車で、一部蒸気機関車も運行している。

こいつが煙と蒸気をバッフンバッフンブシューと吐きながら小さな車両を四つくらいフルパワーで引っ張って、ママチャリ並みの速度でアップダウンの激しい狭いレールを走って行く。レールは一般道の側道に申し訳なさそうに設置されていて、自動車の通行を妨げながら道沿いの商店や民家すれすれをマイペースに通過していく様を眺めていると妙に楽しい。

僕らはダージリン駅から一駅のグーム駅まで乗った。距離は短いがスーパースローなトイトレインは到着まで40分以上かかるので十分堪能できる。座席はファーストクラス(100ルピーくらい)とセカンドクラス(30ルピーくらい)があって、僕らはファーストクラスに乗り込んだがセカンドクラスとの差がほぼ感じられないクオリティだった。今思い返しても値段くらいしか違いが無いように思う。

グーム駅から徒歩で近くのイガチョリンゴンパへ。ここはダージリンで最古のチベット寺院だそうだ。創建は1850年だから古さに感心する程でも無いが、小ぢんまりした寺院の内部は良い感じの雰囲気。

大仏様も堂々とした造形だ。外は完全に雲の中&雨が降り続けていたので、僕らは僧侶のおっちゃんにチベット仏教について質問しながら二時間くらい本堂で過ごした。美人のカリーちゃんが積極的に質問するものだから僧侶のおっちゃんは張り切って答え、不思議な音色のラッパを吹いてくれたりとサービス精神が旺盛で良い時間を過ごす事ができた。やはり美人と一緒だと得する事が多い。

雨が上がったので付近を散歩。途中で良い顔が沢山あるお堂を発見。

誰か分からんが、ええ顔。

良い感じのゾウも沢山。

乗り合いジープでダージリンへ戻り、チョウラスター広場から北へ散歩する。

いろんな所にチベット系やヒンドゥー系の建造物あり。

ダージリンでは学生の姿が目立つ。人口に対して学生が多いのか。あるいはダージリンの尾根の上側に学校が集中しているのか。

つづく


【ダージリンが素敵すぎる理由を記述しよう2】

ブティアブスティゴンパへ向かう途中に発見した。いかした民家。

尾根伝いに伸びているダージリンの街ならではの景色。

ブティアブスティゴンパの山門。

外観。




チベット系の意匠はカッコ良い。

ええ顔。

ヒンドゥー教寺院にも行ってみた。ヒンドゥーといっても境内にタルチョーがいっぱい張り巡らしてあったり、チベット系の神も祀ってあったり、文化が複雑にミックスされている場所だけに面白い構成になっている。
シバを祀る本堂でおでこに赤いのを付けてもらい、そこにいたガイドらしきおじさん(見た目はおじさんだが僕より6つも年下だった)に導かれて境内に分散して設置されたお堂に正式な作法で参拝した。インドなら最後にガイド料くれと催促してくるオチだが、この人は一切要求してこなかった。お供えする線香をくれたり、赤と緑の紐をネックレス状に首に結んでくれたりしたのに良い人すぎる。呆気に取られて1ルピーもお礼をしなかったが、せめて10ルピーくらいは渡しておくべきだった。

ダージリンには寺院だけでなく洋館や教会もいくつかある。この地は元々イギリス人が避暑地として開発した経緯があるらしく、洋風のオシャレな時計台があったり、洋食のレストランも充実している。写真はダージリンで一番古いらしい教会のステンドグラス。外観や内部のその他は日が沈んだので撮れなかったが、シンプルな半木造建築で雰囲気が良い。


つづく
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その他の写真







紅茶メモ
紅茶の生産量第一位はインドだが、本格的に生産され始めたのは19世紀ごろ。
紅茶の起源には様々な説あり。
「中国からイギリスへ茶を船で輸送中に偶然発酵して紅茶になった説。(デマの可能性高め)」
「中国で粗悪品とされていた茶色く変色した低品質の茶葉を欧州諸国が輸入し人気になった説。」
「ウーロン茶などの発酵茶の一つとして中国で作られた説。」など。
西ヨーロッパで紅茶がウケたのは水質の違いによるとされる。硬水で緑茶を淹れると味と香りが損なわれてしまうが、軟水では飲みにくい渋みの強いタイプの発酵茶は逆にマイルドで美味しい茶になるらしい。

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