2021年9月30日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその7

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【アウランガバード休養日】

アウランガバードの一日目は休養しようと思っていたのに動き回ってしまった。トラベラーズチェックを両替し、WiFiの使えるインターネット屋を探して(一時間20ルピーでダントツの最安値)、駅に切符を買いに行く。たったこれだけだが10km以上は歩いたはずだ。今日はこれに加えて暑さと連日の列車移動による疲労で熱が出て寝込んでいる。

搾りたてオレンジジュースが飲みたいが、しんどくて外出したくない。

二日目の朝から調子が悪かったがずっと寝るのも勿体無いので、エローラ石窟群に宿で相部屋になったインド人のチェンマイと一緒に行くことにした。
彼は25歳、プネー出身、建築士だったが半年前に退職し南インドを中心に勉強も兼ねて遺跡や寺院を巡っている。近い将来に建築士として再出発するらしい。彼は今まで出会ったインド人の中で最も知的だ。

セントラルバススタンドから路線バスで約1時間、24ルピー。

インドバスはいつも通りのボロさ。座席のクッションは留具が壊れて簡単に外れる。

バスはエローラ石窟群の入口正面で停まる(たぶん)が、僕らはその先の寺院の近くまで乗った。グリシュネーシュワル寺院という名前だったと思う。インド各地にあるシバを祀った寺院の中でも上位の部類に入る。熱心なヒンドゥー教徒であるチェンマイの勧めで、ここに参拝してからエローラへ行くことになった。
異教徒も入場可なのでチェンマイと一緒に入る。外でサンダルを預け、寺院の本堂の入口で上着を脱ぐ。作法を知らないのでチェンマイがしていることを真似てみる。建物は大きくないが、代表的なシバ寺院だけあって雰囲気があり、気合の入った信者も多い。

寺院の周辺には「バクシーシ」と声をかけてくる人が沢山いた。喜捨しろ、金よこせ、と言うのだ。本当の意味はもっと聞こえの良い意味だったと思う。僕は乞食のタカリはもちろん、バクシーシに対しても1ルピーも渡した事が無いし、これからもそうすると思う。

----- 中略 -----

特にインドは何千年もかけてヴァルナやジャーティ(いわゆるカースト制度)を構築してきたのであり、外から見ると単なる差別社会に映っても実際は絶妙なバランスで不可触民にいたるまでそれなりの生活は保証されている。路上で生活している人達も店屋で飯を買い、時には買い物袋を下げて歩いていたりする。物乞いをする時は悲劇的な演出をして喜捨を募り、足りている時は気ままにゴロゴロできる。外国人の自分が彼らに何かをする必要は無い。旅行して外貨をインドに落としている事で十分だ。「インドの事はインド人同士でやりな」と思うし、既にそうしている。
思い切り話しが逸れたついでにこれまで行った国の物乞い事情について書いておこう。
まずは中国。システム上乞食が存在しない事になっている社会主義国でありながら、乞食がいない街は無かった。そして乞食と言っても飢え死にしそうなのはいないと言って良いだろう。他の多くの国でもそうだと思うが、中国の乞食は組織化されており、種類も豊富。ボロボロの服を着た子供や老人を使ってお金を集めさせて後でボスが徴収する。どこかから死にかけの老人を連れてきて路上に布団を敷いて寝かせ、同情を誘う文章を印刷した紙を雨が降っても大丈夫なようにラミネート加工して貼り出し、夜になれば老人と紙とお金を撤収する。家族ぐるみや個人営業もいる。電車の中を夫が携帯カラオケセットやバッテリー内蔵のアンプ付きスピーカーを担いで悲しげな歌を爆音で下手くそに歌いながら赤ちゃんを背負った妻と一緒に練り歩く。寒い吹きっ晒しの道端であえて半裸で寝そべってプルプル震え続けて稼ぐ体を張った営業をする人や、毎日同じ所で朝から日暮れまでひたすら泣き続ける老婆もいた。驚くべき事にこれらの乞食達は低所得の労働者より稼ぎが多かったりする。豪邸を建てた有名な乞食成金まで存在するという話しだ。
一方、東南アジアでは飢えない。一年中バナナやマンゴーが勝手に実り、川や海では魚が捕れるし、種を撒けば自動的に稲が育つ。そんな豊かな環境が前提としてあるから生きて行くのに働く必要があまり無い。田舎では特に一日中寝たり昼間からビールを飲んでいる男が目立つ。そんな人間が「日本人は金持ちだから金よこせ」と言ってくるのだ。もしこいつらに今の日本人と同じ労働を強要すれば、一カ月かからずに殺すことができるだろう。
「金を持っていない=努力しても稼げない」ではなく「お金が無くても生活できる」だっりするし、「乞食=金を持っていない」でもない。

----- 中略 -----

エローラに行った話し。石窟群ではチェンマイと別行動をとり、一通り見終わったら一番の目玉である16番の遺跡の前に集合する事にした。僕は発熱で動きが遅いし、チェンマイは写真を撮るのにじっくり時間をかけるので歩調が合わないからだ。

1番の遺跡から順にまわるが、番号の若い遺跡はしょぼいのが多かった。

稀にいい感じの部屋。

猿多め。

16番の遺跡。ここだけダントツで凄い。

凄いと言っても本来の凄味からは相当劣化している模様。彫刻した石の上に漆喰で装飾、彩色されていた様で、部分的に残っている痕跡を見ても岩が剥き出しになった部分との落差がかなりある。

野生のインコ発見。

ゾウで一杯。

20番目くらいの遺跡を見た段階で体力に限界がきた。どちらかと言うと番号の前半より後半の方が見応えがありそうだったが諦めて集合場所で待機。
陽射しがきついので木陰のレンガに座るが焼け付いて熱い。火傷をするほどではないので熱にうなされながら横になっていたが、体調は悪化する一方。チェンマイは来ない。
実はこの時既にチェンマイは帰路についており、僕は閉門時間の18時を過ぎて外に締め出される18時半まで待ち続けた。彼は14時頃に集合場所に戻ってきて30分待った(彼曰く長時間待った)後、僕が先に帰ったと思ったのだそうだ。酷くなった発熱でヘロヘロになって20:30にホステルに戻った僕を見て「こんな時間までどこに行ってたんだい?」と陽気に声をかけてくる彼にイラっとしたが、これは文化の違いというやつか。なぜ僕を待たずに先に帰ったのか詰め寄ったが話しにならず、僕はすぐに意思疎通を諦めて体を洗って寝込んだ。
チェンマイはとても良い奴だ。彼は僕が深い眠りについていた今朝、次の街へ旅立った。疲れと苛立ちでろくに挨拶もせず眠ってしまった事を少し後悔している。

エローラで待ちぼうけをくらっていた時は辛いだけでもなかった。暑さで寝ていられなくなって朦朧とした意識で座り込んでいると頻繁に声を掛けられる。「顔色が悪いが大丈夫か?」ではない。「一緒に写真を撮って下さい。」である。子供達や若者の集団や家族でやって来て「キャナイテイクユアピクチャー、サー?」(インドではsir付けで声を掛けられる事が多い)と尋ねてくるので「OK」と答え、「国はどこ?」「インド好き?」とお決まりの質問に答えながら記念撮影をこなしていく。十組以上と記念撮影した。撮影後には皆握手を求めて来る。インド人女性は控えめなので握手してくるのは女の子くらいだが、男は子供からお年寄りまでもれなく求めてくるので何かのイベントの握手会みたいになってる。嬉しかったけど疲労困憊なので回避したかった。でも見えづらい場所に移動するとチェンマイからも見えなくなるというジレンマ。
例外として「記念撮影(僕は含まない)をするのでお前の帽子を貸してくれ。」と言ってきたインド先輩一名。

帰りに見つけた蝶。

今日は一日中ぐったりしていた。手ぬぐいに水を含ませておでこにくっつけている。アウランガバードは超絶乾燥状態にあるので、こうしておくだけで気化熱でおでこヒンヤリになり気持ち良い。


【アウランガバード→アフマダバード鉄道旅行】

4:30に起床。体調は思うように回復しない。アウランガバードから通おうと思っていたアジャンタ遺跡群とサイババの町シルディ(最近亡くなったのはサイババの生まれ変わりとされていた人で本家はこちら)に行けなかったのは残念だが、インド旅行は二カ月程度の予定なので潔く次の街へ移動する。
5:00に宿を出て、乗り合いオートリキシャにインド先輩二人と乗り込み、一人20ルピーであっという間に駅に着いた。これから一旦ムンバイに行きアフマダバード行きの切符を買わないといけないが、外国人枠の座席が余っている事を期待しよう。(5:33)

本日もチャイ安定。うまうま。(5:48)

右の山の頂上がぴょこんとなってるの気になる。(7:35)

線路のそばでウンコを生産中のインド先輩多数。行き交う列車を眺めながらの朝ウンコは案外爽快なのかもしれない。(8:59)

担々麺が食べたい。(11:12)

ムンバイはゆとりが無い状態で訪れると非常にムカつく街だ。大都会とズタボロの貧民街が混在し、大通りから裏路地まで5秒以上真っ直ぐ歩けないレベルで混雑している。人の肩や担いだ荷物がガンガンぶつかってくるのは混み具合を考えると仕方がない?が、発熱と頭痛を抱えた状態ではムカつかざるを得ない。

ほぼ渋滞中の大通りから外れると、片側一車線の道の両側にずらりと自動車とバイクと木製の荷車が並び、真ん中に残った一車線分の道幅でトラックやらタクシーやらが強引にすれ違おうとする。さらに追い打ちをかけるように僅かな隙間を見つけては人々が雪崩れ込むので、道に残った隙間は無いに等しい。歩道に避難するとそこには山羊と犬と人が同じくらいリラックスして寝ていたりするので踏まないようにジグザグ歩行になり、障害物の構成は違うが歩行難度に大差は無い。

インド人は中国人と良く似ていると思う。違いと言えば、インド人は馴れ馴れしく(フレンドリーに?)近寄ってくるが、中国人にはそれが無い事ぐらいか。大きな声で話す人が多いし、路上で唾を吐きまくり、ゴミは街中や列車の窓からもごく当たり前に捨てる。中国においては中共の方針によってこれらの事態は急速に強引に改善されていっているので、一見インドの方が民度が低く見えそうだが実際は似たり寄ったりだろう。ゴミ回収車を集めて街にゴミをぶちまけた様な状態を、中国はパッと見綺麗に見せようとする不自然さが、インドはそのままぶちまきっ放しの自然さがそれぞれ面白い。
いや、やはりインド人の方が民度が低いな。特にムンバイは下衆の宝庫。念のため多くの人がそうではないと断っておく。しかし白人がいじった街がこうなりがちなのはなぜだ。

何とか21:45発アフマダバード行きの切符を確保できたが、この過程で腹が立つ事が多過ぎ、思い出しただけでチケットカウンターの職員の口にカレー粉を詰め込んで下から顎を突き上げたくなるので書かない。

クソ職員の予定外のブレイクタイム(カウンターを一時的に閉める時間はそれぞれのカウンターに掲示してある)のおかげで夜行列車になってしまった。時間ができたので近場で楽に行けそうな場所を探す。

マハーラクシュミ駅横の洗濯屋街。ホテルのシーツ等の大口客がメインかと思いきや、個人からの依頼と思われる洗濯物が多い。しかしここは治安に難ありな上、洗濯場の床にバシバシ叩きつける洗濯法なので高価で繊細な服はボロキレと化すだろう。外国人無用の地か。

今はムンバイ・セントラル駅内のベンチで時間を潰しているが、五分前から野良犬の喧嘩が続いている。
今のところインドの駅舎の中で野良犬を見なかった事が無い。この点に関して中国では捕食対象になるので野良犬が少なくて良い。(19:43)

蚊が多いので駅舎内のマクドナルドに逃げ込んだ。旅行では早くも二度目のマクドナルドになる。アンチマクドナルド派寄りの僕だが、一度は安食堂を抜いて街で最安値だったビッグマックを旅費の節約のため香港で、そして今はマハラジャバーガーを食べるために積極的に入店している。

一度は食べたいマハラジャバーガー、セットで149ルピー。インド的にはクソ高い。
トレーに敷かれた広告のドナルドはターバンではなかった。そもそもターバンは人口の2%以下(たぶん)のシーク教徒しか身につけないからマイナーではある。
して、味の方は。カレー味。お見事。これは通常メニューのビッグマックに相当するが牛肉は使えないから鳥肉になっている。それ以外はビッグマックと同じ構成だ。ただしソースに混ぜられたマサラたちが完全に味を支配してインドから僕を開放してくれない。(20:47)

しかしムンバイ・セントラル駅では嫌な奴と良く遭遇する。
トイレの入口で二十歳ぐらいの若者が「俺は片足が無いんだよ。金よこせ!」とヘラヘラ笑いながらチンピラみたいなやり口で、友達と一緒に出入りする人にたかっている。僕にもたかってきたので「片足が無いくらいでたかるな」と日本語で言うと「ネパリーは金をくれない。ケチだ。」などとネパール人バッシングを始めた。僕は平凡な日本人顏だと思うがそんなにネパール人ぽいのか?方法と態度が気に食わない物乞いだった(22:10)

そろそろ到着か。夜が肌寒いというのは久しぶりだ。外は霧で景色が霞んでいる。(6:11)

チャイ売りが現れない!どうなっているのか。(6:20)

6:40にアフマダバード駅着。駅付近で宿を探すがどこも満室で困った。オートリキシャの客引きに連れられて駅から2km離れたあたりのホテル街でもほぼ満室で、僕はインド旅行でダントツの最高値800ルピーの宿に一泊することになった。客引き曰く、今アフマダバードに有名な医者だか宗教指導者だかが来ていて大盛況中らしい。なんというタイミングの悪さだ。ここでゆっくりしようと考えていたのに早々に観光を済ませて立ち去らないとお金が無くなってしまう。(8:45)

つづく
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その他の写真






シーク教メモ
現地では「スィク(シク)」と発音。現在の日本でも「シク」と言うようになったようだが旅行当時は「シーク」と表記するのが一般的だった。
日本人がイメージするインド人男性像は頭にターバンを巻いているが、「インド人ぽいターバン」を巻いているのはシク教徒だけ。
シク教徒でも宗派によってターバンを巻かない者もいる。

2021年9月23日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその6

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

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【カニャークマリ→ムンバイ鉄道旅行】

宿のオーナーに午前四時半にチェックアウトすると昨夜伝えておいたら、四時前にわざわざ僕を起こしに来てくれた。信頼できる爺さんだ。電撃ネットワークのプロディジーみたいな人と写真家の荒木さんを足して二で割るのを忘れた感じの外見だ。滞在中は何かと世話を焼いてくれた。後でモーニングコール代として10ルピーの請求があったが。

十分に時間があるので駅までとぼとぼ歩いて行く。宿を出たのは4:20だが、すでにチャイ屋は営業しており、客がチャイをうまそうに啜っている。何時から営業しているのだ?

駅に着いて、切符売り場の隅っこに設置しているタッチパネル式のマシーンを使って、自分の車両と座席番号を確認する。この機械はインディアン・レイルウェイズのホームページと同じ仕様になっていて、予約状況の確認や時刻表の検索もできて便利。

定刻通りに発車。さっそくやって来たチャイ売りからチャイを買う。路線によってコップの大きさがまちまちだが、今回は5ルピーで量が多め。だがこの一杯目だけ10ルピー取られた。単にお釣りが無かったとかではなく、「なぜ5ルピーなのに10ルピー取るのか?」と尋ねたらタミル語?で何やらごにょごにょ言いながらチャイのタンクにまじないの様な仕草をしていた。ファーストチャイを飲む客はチャイの神様に5ルピーを捧げる決まりになっているのか。(3/31 5:46)

駅弁のマサラドーサ、30ルピーでうまうま。(7:32)

今回の僕の座席はサイド・アッパー・バース。寝台車両は進行方向に対して横向きの三段ベッドが一対と通路を挟んで縦向きの二段ベッド1つが一区画になっていて、僕のは二段ベッドの上段だ。もしかして一番良い席なんじゃないか。

三段ベッドの下段はすでに超密着状態になっている。(7:43)

僕の席は車両の端っこだから乗り降りする客が良く見える。長距離列車とはいえ1~3駅程度の短距離で下車していく人も多い。大きな駅では半分以上の乗客が入れ替わる事もある。
しかしなんだ、下車する時にホームの反対側ドア(ドアは走行中も常に開けっ放し)から線路に降りていく客がちらほらいるのは。切符を持ってないから改札を通れない系のインド先輩達か。インドの駅は改札があってもほぼノーチェックだから、その気になればキセル乗車余裕。(8:06)

バナナの天ぷら30ルピー。一個食いかけ。チリソースを付けて食べるとうまい。(12:11)

現時点でチャイ×2、コーヒー×1。列車で販売のチャイはほとんどが熱い砂糖ミルクに紅茶のティーバッグを突っ込んでホイッと出されるが、コーヒーはちゃんと淹れているのか。それともインスタントか。いずれにしても美味いからどっちでも良いが。味はチャイの紅茶をコーヒー豆に変えただけ。どちらも5ルピー。(14:46)

また食っている。あまり味のついていないピリ辛ドーナッツにカレーを付けて食べる。うまいとは言えない。18ルピー。
列車ではする事が無いので食うか飲むかだが今は重要な役目があって、二歳ぐらいの女の子が僕を見ると泣き止むらしく、女の子が泣き出すと爽やかスマイルであやす任務についている。
と、いきなり雨だ。インドは今乾季なので珍しい。蒸し暑かったのが突然涼しくなった。(17:14)

夕飯は注文を取りに来てくれる。ベジ・ビリヤーニ(40ルピー)をチョイス。ベジはベジタリアンのことで、信仰する宗教によって肉類が食べられない人用。店によってベジの方がうまかったりすることも。これはしょっぱくてマズかった。(19:44)

どこかの駅に停車中。こんな時間でもホームではチャイ屋が営業している。インドで最も偉大な職業はチャイ屋かもしれない。(4/1 3:46)

水不足になっている。というか水切れだ。歯磨きする人とかトイレにいく人は往生している。給水ポイントはどの駅だ。(8:02)

マサラドーサで朝食。袋にカレーが入っている。45ルピーもした。同じ人が売っている同じ内容の弁当の価格が大きく変動するのはなぜだ。
駅で停車中に給水作業があり、列車の水不足が解消された。(8:40)


信号待ちか。よく何も無い所に止まる。アラビア海沿いに北上するルートのはずだが海は見えない。時々ヤシ畑やバナナ畑があるくらい。(10:03)


【カニャークマリ→ムンバイ鉄道旅行2】

初めてネパール人と間違われた。「アーユーネパリー?」。(11:08)

駅名から察するに、海岸沿いではなくデカン高原の西側を北上中か。空気が乾燥気味で緑が減った。(12:13)

駅のホームを建設中?

昼食はエッグビリヤーニ。可もなく不可もなし。50ルピー。

岩を雑に積み上げたみたいな山ばかりだ。しかも暑い。(13:17)

きつい陽射しに車両が焼け付いて遠赤外線グリルされているがごとしだが、湿度が低いから気温の数値よりも幾分か楽だろう。しかし陽射しが当たってないベッドまで熱くなっているのはどういうことだ。どういう原理でほぼ宙に浮いた状態の僕のベッドが熱せられるのだ。遠赤外線効果か?
いつか言ってみたいカッコ良い台詞に「こいつはまるで動く棺桶だぜ!」というのがあるが、それを言うレベルには程遠いし、日本語が理解できる人が周りにいないので使えず。(14:42)

暑いから食うしかねえ。サモサとシシトウの天ぷら。サモサ2個で15ルピーだが、20ルピー札で支払ったら「5ルピー無いよ。お前持ってない?じゃあ5ルピーのシシトウつけとくわ。OK?」に対してOKと答えた。
サモサはカレーで味付けされたジャガイモを小麦粉の生地で三角形に包んで揚げた物。インドのオヤツの定番だ。(15:50)

暇だ飯はまだか。もうそろそろ列車に乗って40時間じゃね?カニャークマリ→ムンバイ間は2135kmと切符に書いてあるので、だいたい47時間として平均時速45km程度か。途中駅の停車時間を差し引いても平均時速は50kmに達しないだろう。トップスピードは60kmくらいじゃなかろうか。なにせ前後一両ずつのディーゼル機関車で20両以上の車両を動かしてるから、これ以上速く走られると危ない(19:17)

夕飯はチャパティとチキンカレー。肉が大きくて美味しかった。車内販売の食品は割高(チャイは除く)だが、これは満足できる味と量。と思いきや75ルピーだとぬかしやがる。60ルピーで約100円だから、125円くらいか。高い。インドで100円超えの飯を食う時は「今日はちょっと奮発しちゃうぞ!」な時。うな重を食べるレベル。駅のホームで売っている弁当の方がコスパ高めか。(20:07) 

結構時間通りに運行している様だし、ムンバイ着が5時前なので早めに寝たいが車内はまだ暑い。車両が焼け付いた昼過ぎから小さいゴキブリちゃん達がカサコソと這い回っている。多分天井や壁の裏側が暑過ぎて避難して来たのだと思う。目障りだが害が無いのでどうでもいいが、それにしても早く涼しくなってくれないと寝付けない。(21:41) 

やや遅れ気味だがもうすぐムンバイに着きそう。(4/2 4:43) 

着いた。(5:01) 

駅のベンチでチケット窓口が開くのを待っている。チャイが4ルピーでうまうま。サモサ食べたい。
美人率が飛躍した感があるが、ずいぶん北に来たからアーリア系の血が濃くなったのかな。
そう言えば後少しで乗車時間が48時間に達するところだったのに惜しい。もう少し遅れてくれたら「いや~、この前丸二日間列車に乗っちゃってさ。」と自慢話しできたのに。(6:31)

クッキーとチャイ二杯目。この手のパッケージは抹茶味という先入観。インドで抹茶味な訳がない。インドのレストランで食後に粒の砂糖と一緒に出てくる妙なハーブみたいな風味の何かの種の味がする。そこそこ美味しい。(7:17)

寝起き女子。眠そうだったが決めポーズで1ショット。(7:35)

アウランガバード行きの切符を購入。切符裏面の広告が素敵。インドのお菓子やペットボトル等のラベル、看板、紙面広告等、文字間を均等に見える様に詰めたり画像の解像度を気にしたりしない。とにかく具さえ入っていたら盛り付けなどどうでも良いというザックリ感がインドをより味わい深いものにしていると思う。日々激務をこなしている広告代理店のデザイナーが見たら発狂するに違いない。 
さて13:50発の列車まで何をしようか。(8:12) 


【ムンバイ→アウランガバード鉄道旅行】

暇なので僕のバッグを。25ルピーでカニャークマリの雑貨屋で購入。ナマステ。(8:18)

----- 中略 -----

世界遺産のムンバイCST駅。

ムンバイに一泊すべきだったか。街はかなり面白そうだ。

さとうきびジュース。ライムを絞ってうまー。10ルピー。後ろに写っているのがさとうきびジュース屋(裏から)と店長?の兄ちゃん。

ムンバイCST駅のレスティングルームのトイレではなんと体が洗える。当然地獄の様に汚いが、自分の体が綺麗になるので問題無い。
脱いだ白い服の背中が茶色くなっていた。列車は窓もドアも基本開けっ放しなので、乾燥地帯を突っ切ると土埃が車内に入ってきて、そんな中でゴロゴロしているものだから衣類が汚れる。
綺麗な服に着替えてサッパリ。携帯の充電をしながらくつろいでいると、レスティングルームに警備員が入って来て怪しい奴の切符をチェックし始めた。ここは切符を持っている人のための場所だから切符が無いと入れない決まりだ。警備員が見えるとそそくさと何食わぬ顔をして立ち去るインド先輩が数名。内一人が捕まり説教を受ける。今までの駅ではノーチェックだったのに、ここは取り締まりが厳しい。さすがインドNo.1の大都会だ。

サモサ4つとチャイで朝食兼昼食。チャイは当然としてサモサも安定。今のところハズレ無し。(12:27)

列車が13:50に発車してから近くの席の若いインド人達とずっと話し続けている。チャイを奢ったら奢り返された上にサモサまでご馳走してくれた。ペットボトルの水をシェアして回し飲みをするのも初。面白くて一気に時間が過ぎたが、アウランガバードはまだ遠い。(16:39)

デカン高原ぽい景色?台形の山ばかりだ。硬い地層が頂上に残り、台地を形成していると思われ。
荒涼とした乾燥地帯が続く途中、一面にぶどう畑が広がる農地の一画にワイナリーがあったり。
インドの酒は侮れない。コルカタで飲んだインド産のラム酒は良い味をしていた。ワインも美味しいかもしれない。でもインドは州によって法律が異なり、ひっそりと営業する酒屋で鉄格子越しに紙袋で包まれた酒を買い、隠しながら家に持ち帰ってチビチビ飲まないといけない地域もあるようだ。そんな所では公衆の面前での飲酒は禁止されており、バーは無く、酒税もかなり高いと聞く。(19:03)

後ろの座席の女の子が手にヘナで模様を描いていたので親父さんと一緒に撮らせてもらった。祝い事の時に女性がするものだったと思う。質の良い服を着ていたし、親族の婚礼でもあったのだろうか。(19:34)

時刻表では20:35の到着のはずが、またもやアウランガバードにも20:20と早く着いてしまった。ずっと一緒に話していたインド人の若者4人と別れの挨拶をして宿を探しに出る。
駅を出た所でたまに会話に参加してきたインド人の青年が寄ってきて「宿は決めてあるのか?」と訊いてきた。僕はこの界隈では安くて安全そうなYouth Hostelに行きたかったが、地球の歩き方にチェックインは20時までとあったので、取り敢えず一泊目は適当な宿に飛び込むことにしていた。でもそのインド人曰く問題無いらしい。一緒に歩いてユースホステルまで行くことにした。
ホステルの門は閉じていたが問題無くチェックインできた。120ルピーのドミトリー。ここは男女別にドミ部屋があり、男子部屋には中国人男子が一人いたがすぐチェックアウトしたので10ベッドの広い部屋が貸切状態になった。建物はボロいがノミやダニ、特に南京虫がいないので問題無い。これが最も重要な条件であり、これさえクリアできれば建物が古かろうが関係無い。

一緒に来たインド人だが、彼は近くに妹の家があるらしく、そちらで宿泊するのだそうだ。
親切なインド人かと思いきや、あながちそうとも言い切れなかったりする。水を買いに外出した際に再び彼と遭遇し、一緒に飯を食いに行くことになった。で、食堂のテーブルに着くなり「お金を持ってないんだ」とか言い出す。こいつのおかげで300ルピーの宿に一泊しようとしていた僕が120ルピーの宿にチェックインできたから感謝しているが、この手の下手に出たタカリは気に食わない。一人二品で40ルピーの安食堂だったので支払ってやったが飯が不味くなった。
翌日エローラへ一緒に行こうと誘われたが、きっぱり断っておいた。連日の列車移動で疲労が溜まっていたので明日は休暇日にしようと思っていたし、これ以上こいつと一緒にいると面倒なドラブルが確実に発生しそうだからだ。妹の家に泊まっているのに夕飯が出ないとか怪しすぎる。どこまで本当なのか分からん。

宿に戻って管理人の爺さんに宿泊費を払う。4泊で480ルピーだが、一泊目は70ルピーで良いと言う。そのかわり帳簿上では三泊した事にし、本日の一泊目は無かった事にしようと言うのである。つまり爺さんが70ルピーを懐に納め僕も50ルピーお得、という闇取引を持ちかけてきた。当然OKだ。ノープロブレム。
彼は下働きの管理人で、マネージャーが他にいるらしいので「この事は内密に」と釘を刺された。

つづく
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以下その他の写真とか。

カニャークマリ→ムンバイで信号待ち中。どこかの駅のホームの風景。

ムンバイCST駅。良い感じに画面に納まるポイントを探すがなかった。どこから撮影しても何かが邪魔になったり近すぎたり。

ムンバイの下町。これまでに訪れたインドの街で圧倒的な人の多さ。


ジェスチャーメモ
インド人は顎を左右に振る仕草をよくする。
分かりにくいかもしれないが、顔を正面に向けたまま顎を振り子のように揺らす感じ。
意味は日本における「うなずく」で、合意や了解の意。
「これでいい?」「そうそう(ふるふる)」みたいな。
これを集団かつ無言でされると奇妙に感じることも。ふるふる

2021年9月16日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその5

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【インド最南端カニャークマリで3】

今日も日の出を見ようと五時半にアラームをセットしておいたが、あと五分、あと五分とやっているうちに午前八時だ。睡眠はカニャークマリの日の出に勝る。

宿の入口にあるチャイ屋で7ルピーのチャイを買い、部屋に持ち込んでちびちびすすりながら夢と現実が解離するのを待つ。
シャワーを浴び、衣類を洗濯して、近所の食堂で20ルピーのプーリー(小麦粉の生地を薄く伸ばして揚げた物。カレーをつけて食べる。)を食し、ヴィーヴェーカーナンダ岩に行く。

左がヴィーヴェーカーナンダ岩、右がティルヴァッルヴァル(タミル地方の詩人)の像。ティルヴァッルヴァルは現在改装中で立入禁止。

フェリーの往復切符(20ルピー)を買うために並ぶ。さらにフェリーに乗り込むためにまた並ぶ。人の流れは速いが人数が多いため待ち時間も長い。気を抜くと割込みしてくる。僕の後ろのおっちゃんやおばちゃんが密着してくる。人民の労働者の皆さんと良い勝負だ。

救命胴衣を各人一つ持ってフェリーに乗り込んで出発すると、爺ちゃん婆ちゃんが「ハレーラーマー、ハレーラーマ♪」と歌い出した。隣に座ったインド先輩に尋ねたら、インドの伝統的な歌らしい。祝い唄みたいなものか。座席にぎゅうぎゅう詰めだが、爽やかな潮風と歌声が気持ち良い。

ヴィーヴェーカーナンダ岩に建つ記念堂はヒンドゥー教の宗教改革者のヴィーヴェーカーナンダがこの大きな岩の上で瞑想にふけった事を記念して建てられた物。何をどう改革したかは知らん。内部は撮影禁止。一見の価値ありだが、これといって大したものは無い。

景色が綺麗。どの写真も曇っている様に写っているが、陽射しが強くてiPhoneが勝手に明度を調整するのでこうなってしまう。実際は快晴。

ティルヴァッルヴァルのお尻が見えるのはこの岩からだけ。

カッコ良いゾウと「USE ME PLEASE」と書かれたゴミ箱を持つウサギ。

良いドクロ。施錠されていないのもポイントが高い。

扉の鍵穴部分が魚。この鍵穴から察するに鍵はかなりデカイ。おそらく釘が打てるレベル。

帰りのフェリーでもハレーラーマ♪状態の爺ちゃん婆ちゃん。

ルンギーだと思って買った物がルンギーではない事が判明した。腰に巻いてみると五重巻になり、拘束具かと思うくらい足の動きが制限される。これは多分、女性がくるくる体に巻いているやつだ。しかも綿100%と言っていたのに化学繊維だった。ノリがパリパリに効いていたので洗濯するまで分からなかった。
やられた。赤い花柄が気に入っているが使い道が無いので誰かにあげよう。


【インド最南端カニャークマリで4】

昼から四時頃まで寺院が閉まるので、その間の参道は人通りが少ない。

ジュース屋。果物を選ぶとミキサーにラッシー(ヨーグルトジュース)と一緒にぶち込んでミックスジュースを作ってくれる。とても美味しい。25ルピー。やや高めのレストランだと50ルピーくらいか。

午後四時を過ぎると再び参道が賑わってくる。

日の出が良く見える海岸の土産物屋。

5ルピーとか10ルピーのアクセサリーや玩具や日用品を扱う店には子供たちも集まる。100円ショップみたいな感じ。

海から上がった所。アイス屋、チャイ屋、果物屋、子供服を山積みにして売っている露店などなど。

インディアン・レイルウェイズのホームページで切符の予約状況が確認できる事に気が付いた。ムンバイ行きの列車に15人以上のキャンセルが出たようで、僕の切符は「Confirmed」になっている。これでムンバイ行きが確定した。安心。

つづく
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インド言語メモ
多言語国家であるインドには最もメジャーなヒンディーをはじめ、細分すると800を超える言語が存在すると言われている。
国はヒンディーを公用語に設定しているが、インド人同士でも他言語話者との意思疎通には英語が使われることも少なくないようだった。