2021年11月4日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその12

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【バラナシに着いたの。暑いの。】

暑い。気温が40度を超えたり超えなかったりしている。野良犬などはピクリとも動かず生きているのか死んでいるのか区別がつかない状態で昼寝中である。そんな中で野良牛はいつもと変わらぬもっさりとした動きで狭い路地を徘徊したり、道のど真ん中で尿や糞を垂れている。凄い!僕は牛の底力を甘くみていたようだ。

気温が人の微熱程度の温度を超えたあたりから意識が朦朧とし始め、40度に達すると仕事をせずに生きていく方法を考え始める。大人の闘いである。
四六時中、僕の中の人類担当と猿担当がシノギを削る。「人類よ、こんなに暑いのにどこへ行く。近所のラッシー屋や果物生絞りジュース屋でウマウマ飲料を買って日陰でちうちうしたり、宿で水浴びしたあと昼寝をして何もせずに天井だけを見つめながら一日過ごそうではないか。」「何を言う!はるばるバラナシまでやって来たのだ。まずはガンジス川沿いをお散歩しながらサドゥーの生活を逐一チェックし、チャイの値段でおおよその物価を類推、さらに商店の品揃えや地元民の行動パターンからバラナシの文化に当たりを付けるのが先決である。」
今日は猿担当が7:3で勝ち越した。

話しは昨日のデリーまで遡る。
あそこは今のところ案外快適な気温だった。ヘルモードには達していない。昼間の陽射しに晒されると真夏の暑さではあるが、路地裏の宿の太陽光が届かぬ部屋ではファンを起動させると、低湿度なのも手伝って、少々肌寒くすらある。
僕は20:40発の列車に乗るまで、一時間くらい辺りをうろつく→宿でゴロゴロ、を繰り返していた。

メインバザール界隈のレストランは割高だが、露店のちょっとつまむ系の飯は安い。これは何かを小麦粉と一緒に練って揚げた物にカレーをぶっかけてくれる屋台。二品で20ルピー。器は何かの葉っぱを重ねて成型してある。地元民がたむろしている店は素朴で良い味をしている。

学校帰りの子供達。一台のサイクルリキシャーに十人近くの子供が無理矢理乗り込んで登下校する光景は良く見かける。子供達は元気にはしゃいでいるし、リキシャーの運ちゃんも楽しそうに送り迎えしている。

デリーは下町が良い。観光客狙いの店がひしめくメインバザールは客引き、特に日本語で話しかけてくる若くてチャラチャラした奴がうっとおしくてウンザリするから、僕はすぐに客引きがいない脇の方へと避難しがちになる。

夜。駅。ホームの電光掲示板に前の便の列車が表示されっぱなしだったので遅延しているのかと勘違いし「遅いなぁ。ホームに停まってる列車が出発して早く僕が乗る列車来ないかな。」と待ち続けていたら実は目の前のそれが僕が乗る列車で、それに気が付いたのが発車時刻ギリギリだったので焦ったが、列車には無事に乗る事ができた。

車内に入ると異変があった。いつもと雰囲気が違う。ベッドの数に対して乗客が多過ぎるのである。出発直前なのに僕のシートまで移動するのが困難なほどの人。どのベッドにもぎゅうぎゅうに座っているがそれでも座りきれずに立っている人すらいる。ここは座席車両ではなく寝台なんだが。そう言えば座席車両の出入口では中に人が入りきれず、警備担当の軍人さんが無理矢理乗り込もうとする乗客の荷物を棒でガンガン叩いて「おい!お前はあっちから乗れ!」と暴動状態の乗客を鎮圧していた。それに比べれば寝台車両は平和なもんだが、やっとの思いで辿り着いた僕のベッドに巨大な旅行カバンが置いてあったのでキレそうになった。「おいおい、ここはインドだ。この程度で心を揺らしてどうする。」と怒りを制止し、速やかに巨大なブツを人でごった返した通路に強引に撤去。自分のテリトリーを確保した。

車内は人が多いだけではなく非常に賑やかだった。話し声も大きいが、中には皆で歌い出す家族連れもいたり。そんな超過密のパーティー会場の通路(と言っても座り込んだり寝転んだりしている人もいっぱいいるので通路とは呼べないかもしれない)を密林を掻き分けるように行き来するチャイ売りや駅弁売りの方々の遠くまで響く声のハーモニー。Theインド列車。
インド先輩逞し過ぎます!と、さっそくチャイをちびちび飲みながら僕は上段ベッドの安全地帯でしみじみと感心していた。

即寝をキメようとしていた僕の思惑は彼らによってあっさりと阻止された。ハチャメチャ状態の寝台車両は彼らにとっては遊園地である。爺さん婆さんも含めた10人以上の大家族で乗車した彼らは楽しくて仕方がない様子。僕は結局消灯された23時頃まで彼らと、それに近くのベッドにいた西洋人旅行者達と何だかんだで楽しく盛り上がった。

チャイ売りの声で目が覚める午前六時。車内はすでに暑くなってきている。この辺りでバラナシはとても暑いのではないかと気付き始めた。

到着予定時刻の8:35が過ぎたが到着する気配は無い。僕の正面では10歳に満たない子供が40×10まである九九を暗唱している。38×9=342 とか言っているのだ。そんな時、通路では幼児がオシッコを漏らして通路がオシッコまみれになり、さらにそこを脚の萎えた物乞いが這いながらお金を寄越せと乗客巡りをしている。サモサとチャイを摂取しながらその光景を眺める私。

手を打ち鳴らしながら金寄越せと言ってくるサリーを着て女装した筋肉質のレディーボーイもまた列車ではよく見かける。全く謎なんだが、彼らの方が悲惨な身体を晒して徘徊する物乞いよりも稼ぎが良いのはどういう訳だ。「パン!パン!パン!金出しな!パン!パン!パン!金寄越せ!」とやっている彼らにルピーを差し出す動機が分からない。威圧的に迫って来るからだろうか。意外とあっさり10ルピー札を渡す人が多い。

二時間遅れの10:30にバラナシ駅に到着。ホームで客引きをしていたオートリキシャの運ちゃんと交渉。この客引きは当たりだと踏んだ僕は、彼の勧める宿に行ってみることにした。選択は正解だった。酷暑の閑散期なのも手伝って、広いダブルルームに一泊120ルピーで泊まれる事になった。バラナシの大通りが交差するゴードウリアーまで徒歩で10分くらい駅側に離れた、観光にはやや不便な場所だが、宿のスタッフも部屋も良い感じだったので決定。フリーWiFi有り。

最後にガートまで散歩した時の写真など。

この寺院では鐘を激しく鳴らしながらパールバティを讃える歌を合唱していた。ゴードウリアーからガートの方へ入った所にある小さな寺院だが、ヒンドゥー教の聖地だけあって参拝者の気合の入り方が違う。

ガートには遊覧用のボートが停泊中。ガンジス川は思っていたより狭く、見るなり「え?」ってなった。

予想より綺麗だが沐浴したくない程度に汚いガンジス川と沐浴中ではなく川底に落ちている何か(たぶんお金)を潜って探しているインド先輩達。

古い城壁の様な建築物あり。

元気な牛。

ホーリーもとっくに終わっているし、暑さもあってかサドゥーを数人しか目撃していない。もうインド各地に解散してしまったのかも。


【酷暑のバラナシを散歩する日々】

朝起きて水を浴びたらいくらか気分がしゃんとしたはずだった。試しに写真を撮ってみたらこの顔である。やはり暑さは人を怠惰にする。
今日は日の出前にガンジス川へ行き、朝のプージャー(礼拝)をしているらしいパンチガンガーガートという朝からガツンときそうな名前のガートの様子を見学しようと思っていた。しかしながら5:30にセットした目覚ましで起きたのに既に空が明るくなり始めているものだから、諦めて二度寝をかましてやった。今度は5時起きか。5時起きだな。5時起きねぇ。ごじ...
結局日が高くなるまでごにょごにょしてしまい、これはいかんと言う事で宿のシャワールームで沐浴した結果がさっきの顔。

道が焼け付き始めた頃に行動開始。本日の任務はガンジス川近辺の迷宮のごとき領域を大雑把に把握する事。

ゴードウリアーで待機中の馬車有り。

朝飯22ルピー。これが中々いける。もしかしてバラナシはめちゃ飯のうまい街なのではないか。ラッシーもデリーの行きつけの店よりさらに美味しい店を発見した。

ガートへ出ると人が多い。昨日はどこも閑散としていたが、沐浴やらボートに乗って遊覧する人やらでガートの中心であるダシャーシュワメードガートに人が溢れていた。どこに潜伏していたのかサドゥーも結構ウロウロしている。そして僕は偽サドゥーに一杯食わされた。

ダシャーシュワメードガートを横切っている途中でサドゥーに呼び止められた。こっちに来て座れと言う。で、サドゥーの正面に座ると祈りの儀式が始まった。まず、おでこに白い粉で横に三本線(シバ派か)を引かれて赤い粉を真ん中辺りにチョン。お椀型にして差し出した僕の手に何かの花びらをパラリとした後マリーゴールドの花で作った首飾りを盛り付け、米粒をパラパラとトッピング。家族の名前を訊かれ、盛り付けられたマリーゴールドに水を垂らしながらサドゥーの唱えるヒンディー語だかサンスクリット語だかパーリ語だか分からん言葉を追いかける様に僕も唱える。
割りと長かった。途中から面倒臭えなと思いながら5分くらい続いたと思う。それが終わると「よし!これでお前とお前の家族はハッピーだ。問題無い。1000ルピーな!」とか抜かしやがる。アホかと。運が悪い事にこの時僕が持っていた最小のお金が100ルピー札だったので、仕方なく100ルピーを差し出して「100ルピーだ。問題無い。」と応戦する。「お前はリッチだ。1000ルピーはチープマネーだ。それでお前の家族はハッピーだ。1000ルピーな。」と譲らない偽サドゥーだが僕は100ルピーしか払う気は無いので突っぱねる。すると妥協して「200ルピーだ!俺は服や飯を買わなければならない。100ルピーじゃ足りない。」と偽サドゥー。バカかと。僕は「100ルピーはグッドマネーだ。お前はハッピーだ。」と無理矢理100ルピー札を押し付けて立ち去った。100ルピーも偽サドゥーにくれてやるとは不覚である。それにおでこに白の三本線と赤点を付けたまま街をうろつかなければならなくなった。3000年もヒンドゥー教最大の聖地として参拝客相手の商売で飯を食っている土地だけに油断は禁物である。


アクセサリー屋やシルク屋が並ぶ通りから迷宮探索活動開始。道が狭いのに往来が激しく、横方向にビッグなおばちゃん達が店の前で急にピタリと止まって品物を物色し始めるのでしばしば渋滞になる。

人通りの少ない迷宮真っ只中の路地を撮るのを忘れていたので土産物屋通りをもう一枚。ここから外れると随所で牛が通せんぼしているエリアになる。まるでパックマンになった様な気分になり、ここもか、ここにもか、と角を曲がるたびに鉢合わせるモーモー達の攻撃をかわしつつゴールの無い迷宮を彷徨う。

モーモー達は僕が近づいていくとすれ違える程度によけてくれるが、オシッコやウンコという名の突然の砲撃に用心し、かつブランブランしている尻尾のタイミングを見極めながら華麗にすり抜ける必要がある。既に設置済みの大量の地雷(牛糞)を探知するのも怠ってはならない。油断は即ち死である。視界を遮らんとするハエの大群も効果的に戦場の過酷さを演出する。バイクに乗って突然襲いかかって来るインド先輩達にも注意が必要だ。バラナシで最も天国に近い場所。それがガートに沿う様に形成されたこの迷宮地帯だと言えるだろう。

迷宮のスケールと構成を大雑把に把握した後ガートに出る。遠くに見える城の様な建物が非常に気になるが今度にしよう。

非常に斜め。

これは火葬場であるマニカルニカーガートの薪置き場。ガートでは絶えることなく屍が火葬されている。死を隠さないのは重要だ。他者の死を見つめることで自分の死を意識し、そこから人生が始まるからだ。人の死が見えにくい日本では根本的な生の実感を得にくい、生きていく難易度の高い国だと言えるかもしれない。
生命は目的を持たず誕生し、生き、そして消えていく。それゆえに生命は尊いのである。人もまたバラナシの迷宮を徘徊する牛の様だ。

ガートを抜けて大通りへ。同じ帽子をかぶった団体旅行中のインド先輩達。中国程ではないがたまに見かける光景。インドは中国との共通点が多い。

つづく
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その他の写真







シヴァメモ
破壊と創造の神であるシヴァはヒンドゥー教で三大神の一柱とされるが、地域や宗派によって性質や他の神々との関係及び立ち位置も変化する。
踊りが得意とされていて108種類の舞を舞い、踊りながら世界を破壊すると言われている。
一人のサドゥー(本物)に質問したところ「シヴァは今踊っていない」と言っていたが、どう解釈すれば良いのかは不明。
世界を破壊する踊りはターンダヴァで妻のパールバティが舞うラースヤとセットで世界を破壊し、再構築するらしい。

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