2021年12月30日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(トルコその1

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【トルコへ参る】

目の前の床に鳩が二羽いるが、ここはデリーの国際空港。出国手続きを済ませて乗り場手前のフードコートの椅子に腰掛けている。なぜ鳩が入ってこられるのか分からんが、おそらくここがインドで最も清潔な場所。

インドルピーができるだけ余らない様にメインバザールで日用品等を買って微調整し、80ルピーでニューデリー駅からエアポートメトロで空港まできて残金119ルピー。残ったお金で何か食べようと考えていたが、フードコートにある食物でそこそこ腹を満たせそうなメニューは120ルピーからだ。悔しい。
所持金でも食えるショボイくそインド料理でも食べるかとカウンターで待つも一向に店員が現れず、ガラス越しに見える厨房では三人の店員がいるのに誰も応対しようとしない。10分くらい待ってようやく厨房から出てきたインド人に注文しようとすると「今カウンターはクローズだ。あと15分で担当が戻る。サー。」と一応サーと語尾につけているがこんなボンクラを首都の国際空港のスタッフに採用しているあたりインド丸出しである。しかしインド人のクオリティーは街のそれと変わらないのに、近代的な場所になるだけでこうもインド人に対してイライラしてしまうのが不思議。

----- 中略 -----

飛行機に搭乗した。暇なのでシーク教徒が一人、シーク教徒が二人、と数えようとしたが二人しかいない。しかし機内はインド人ばかりだ。そして中国かと思うくらいうるさい。やはり民度の低さは中国かそれ以下である。ゴミ溜めみたいな街中では気にならないが、ある程度のマナーが求められるこの様な場所だと殺虫剤で駆除したくなるウザさだ。(21:14)

機内食が出た。インドの飯屋よりうまい。機内の設備も綺麗で液晶テレビが各席に装備されている。今まで乗った春秋航空とエアアジアのポンコツは何だったのか。ガルフエアは偉い。(0:03)

バーレーンに着いた。ここで10時間待ち。
飛行機から降りる時もインド人はクソっぷりを発揮してくれる。順番を守らず我先に行こうとして他人の荷物を蹴ったり、他人に荷物をぶつけても知らん顔。海外旅行できるクラスのインド人でも低脳なお猿さんが多過ぎる。(2:55)

時間があるのでインドについて書いておこう。インドはどんなクズでも生きていける国である。懐の深い国と言い換えることができるかもしれないが、要は猿みたいなニンゲンモドキを教育、あるいは啓蒙するのではなく、身分制度によって先天的に将来を決定し、下層の人間は考える努力を必要としない非常に楽な生き方が保証されている。これは一見不自由で差別的な印象が先行しがちだが、自分の意思で将来を決定しそれに必要な水準まで知識や技術を自力で習得する必要がある自由の過酷さと比べれば非常に安楽であり、下層の人間が大多数を占める状況では極一部の人間が強烈な差別にあう自由社会よりもはるかに一人当たりの差別的負担は軽くて済む。また同階層の、さらに同業者との結びつきが強く、融通し助け合う事を息をする様に当然の事として行う。良い悪いの問題ではなくやり方の違いである。
僕が出会った知的なインド人は下層民をピュアでイノセントだと言ったが、言い換えれば無知で愚かということ。物事には常に長短があり、良し悪しを決めるのはそのどちらの割合が多いかによる。100%良、100%悪はあり得ない。僕が見たところインドは良い具合に全体がバランスしていると思う。なんせ日本みたいに今にも死にそうに思い詰めた暗い表情をした人を見たことが無い。物乞いですらオフモードの時は日陰で飲み食いしながら談笑したり、栄養失調気味に腹の出た子供達もきゃっきゃ言いながら走り回っている。それに今回の旅行で餓死者を見ていないし他の旅行者からも聞いたことが無い。死人を見たのは交通事故で数人のみ。仕事をせずにどうやって食べているのか探してみたが、一つは物乞いによる稼ぎ、もう一つは寺院や施設で無料で配給される食事、街を外れた場所では勝手に実る果物類、その他気付けなかった事も沢山あるかもしれない。インドは上層の人間が富を掻き集めるというのではなく、下層の民が飢え死にしないように配慮されたシステムを長い年月をかけて構築してきたのだと思う。広大な国土だからといっても人口約12億人は不安定な社会では実現不可能な数だ。
しかしながら、僕はインド社会に安定を見ると同時に崩壊の兆しも確認した。インドを殺すのは経済の発展ではないか。これはどの国にも同じ事が言えるかもしれないが、インドの場合、経済的豊かさが下層民の表面的な自由への憧れを助長し、行き過ぎた権利の主張によってインド社会で最も重要な階級制度が瓦解、おびただしい下層民が担っていた下等とされるが重要な役割を放棄、街の機能が停止して大きな混乱が訪れる。急激に自由主義へ転換する事で国が滅びる。そんな気がする。インドは何千年もかけて膨大な数の積木をその場その場でバランスを取りながら、ある意味デタラメに肥大化した九龍城の様な危うさがあるので、社会を根本から変えるには構築したのと同じ時間が必要だと思う。インドにとって今の時勢の速度が最大の危機をもたらすに違いない。(トルコ時間で5/20 2:23)

砂漠の夜は寒いと言うが、空港の中なのに凍える寒さだ。そもそもバーレーンがどんな国か知らないので砂漠かどうか定かではないが、アラブ首長国連邦のちょい北くらいの位置にある島国だった記憶から何となく砂漠っぽいイメージが。空港には冷房はあるのに暖房が無いとか勘弁してほしい。というか冷房がかかってるっぽい。止めたい。(6:18)

待合室にインド人が溢れている。お世話になったインド先輩には申し訳ないがウザい。(8:10)

離陸開始。飛行機は小型になったがインド人がほとんどいなくなったため非常に快適である。(9:43)

下は砂漠っぽい。しかしここはどこだ。イラク?

超トルコっぽい。ワクテカ。(13:37)

アタチュルク空港に着いてATMでトルコリラ引き出したんで宿に向う~。イスタンブールの街が清潔でオシャレで涼しいので吐血しそう。(14:16)


【イスタンブールにて】

イスタンブールに着いて喘息が悪化した。これまでも暑い場所から寒い場所へ、あるいはその逆へ移動した場合に出ることがあったが今回は少々強めだ。中国から東南アジアを経てインドで二カ月滞在しているうちに汚濁に体が適応してしまったようで、イスタンブールの清潔さと穏やかな温度がかえって身体に悪影響を及ぼしているのかもしれない。到着から4日目、だいぶましになって喘息がおさまりつつあるが、気怠さはまだ消えない。
体調もあるがとにかくヤル気が起きない。イスタンブールは綺麗でオシャレで面白い街のはずだが何だかなぁ。妙な虚しさが常につきまとう。理由はいろいろあるが今は深く考えるまい。

半分以上寝て過ごしているが、少しは外を出歩いたのでその時の写真でもupしておこう。

宿の近くの道。どこへ行ってもオシャレ。道路は基本石畳だしトルコもヨーロッパ側だけあってアジア度が希薄。

ブルーモスクへ。でかい。無料。堂々とした外観。

中も当然広い。

天上高い。

連チャンで隣のアヤソフィアへ。ここは確か25リラ(約1100円)もした。インドでタージマハルに行かなかったくらい高い観光スポットに興味が無い僕だがここでイスタンブール観光を値踏みするつもりで入った。

カッコ良いけど「!」ってなるには程遠い。全体的にクオリティはめちゃ高いんだが。

何て言うのか知らないが、文字で描いたマンダラみたいなやつが多数展示してあった。僕には楽譜に見える。滑らかで繊細な文字達が緻密に描かれた花模様の中で踊っている様だ。ベリーダンスのあの感じ。


伝統的なものに混じってポップなデザインも。


【イスタンブールにて2】

旧市街側から新市街を。海沿いの景色は抜群だ。ただ散歩しているだけでリッチな気分になる。

旧市街と新市街を結ぶ橋は釣り人だらけ。小アジと小さいボラが主な獲物のようだ。

一口サイズのパンを敷き詰め、たっぷりのヨーグルトとトマトソース、ケバブをのせたもの。10リラ。うまい。

カッコ良い車。街ではこの様な古い車はあまり見かけない。ピカピカのフォルクスワーゲンやフィアットがガンガン走っている。

トルコのチャイ。普通の紅茶。器がオシャレ過ぎる。トルコ凄い。1リラ。

露店のチャイ屋だがこのオシャレ感。

腐っているとしか思えない魚を積み上げているどこかの国の魚屋と違って、ここは活きの良い鮮魚が並んでいる。

橋の上から旧市街。

旧市街側、橋の西に並ぶ鯖サンド屋。

イスタンブール名物鯖サンド。5リラ。うまいものではない。食後も口の中で鯖サンド状態が持続する。もう一生食べることはないだろう。一時、衛生面が問題になり姿を消していたが近年復活して大繁盛中とのこと。

つづく
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その他の写真








アヤソフィアメモ
キリスト正教会の大聖堂だったものがモスクに改築され現在に至る。
創建は360年。過去に二度焼失しており、現存するアヤソフィアは三代目。
宗教施設ではなく博物館として利用されていたが2020年にモスク化し、礼拝時に天使と聖母子像の絵を布で隠すようになったらしい。

2021年12月23日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその16

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
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毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【インド一周しているうちにコルカタがhellになっていた】

この写真をまず貼りたい。ダージリン最高!

ネパール経由ではあるが、インド一周記念の地となったコルカタはまさに酷暑期の真っ只中で、最高気温が40度前後の日々。これは以前に滞在したバラナシと同じ気温だが、コルカタが一味違うのは湿度が100%なんじゃないかというレベルで蒸し暑いこと。指一本動かさずに横になっていたとしてもびっくりするくらい汗をかく。ゴミ、埃、高温、高湿、カレー粉、インド人、まさにhell。でもないか。
しかし体調的に厳しい。溜まっていた疲れがまとまって出た様で、最近のトレンドは酷暑とインド人に加え微熱と頭痛と鼻水。欲張りすぎてしんどい。

思えばコルカタ行きの列車に乗ったニュージャルパイグリ駅から「コルカタは覚悟しとけよ」の合図があった。ここで日本の真夏並の暑さ。モーモーがゴロゴロしている駅の敷地内の光景はのんびりしているが妙に気だるく感じた。

以前アーマダバードへ向かう列車で一緒になったインド人達に教えてもらった小粒の豆スナック10ルピー。彼ら曰く「右手のひらに軽く一口分盛って口にポンと放り込むのがインディアンスタイル」らしいので以後これを食べる時はそうしている。うまい。

二等寝台の上段に上がりうまうま豆をぽりぽり。車内の暑さにウ~ムと唸りながら発車待ちをしていると時間ギリギリにスィッキム帰りのカリーちゃんが乗り込んできた。僕の隣のベッドだ。こういう旅行中にある縁というのは妙なもので偶然にしては良くできている。

粘度の高い不快な空気を掻き分けて夜通し列車はコルカタへ向かう。
チャイ売りの声で目が覚めた午前五時半には不快指数が100%を超えており、終点のシアルダー駅に着いた時には正直このままダージリンにトンボ帰りしてしまいたくなった。

カリーちゃんと寝台の下段にいた韓国人のライアン(本名は忘れた。韓国人も中国人同様に英名を名乗るようだ。)とタクシーをシェアしてサダルストリートを目指すことにした。
駅前にたむろしているタクシーはコルカタだけあって300ルピーとか超ボッタクリ金額をふっかけてくる。僕らはボッタクリクソタクシー運転手の群れを運賃の交渉をしつつヌルリとかわし、出口付近にいたオートリキシャに三人で80ルピーで交渉成立。これでも高い気がするが三人で乗った事を考慮すると相場か。

宿は前回泊まったパラゴンの隣のマリア。脳が垂れ出す暑さにも関わらずほぼ満室の賑わいぶりで、僕とライアンでツインルームをシェアしてカリーちゃんは別室に。
コルカタはまたもやほぼ観光をしていない。体調不良もあって、南中時から日が傾くまでの時間帯は道を10分歩いただけで天使が見えそうで見えない状態になってしまう。宿にチェックインしてすぐ近所のレストランに一緒に行ったきりカリーちゃんとは行動せず、ほぼ部屋でぐったりしながらライアンと話しをしていた。飯を食って酒を飲んで。

途中、中国人の青年(名前を忘れた)も加わって日中韓のお互いの国どうなってるの話しが始まった。
中々興味深い内容で、若者の就職及び労働条件については日韓で状況がかぶる。大学を出ても職にあぶれる若者が急増し、就職できても労働が過酷を極める。労働時間やサービス残業、会社での従業員の扱い、足を引っ張る無能な上司の割合。韓国が日本の後を追う形で、しかも急速に状況は悪化しているらしい。一方、中国は大都市圏では労働時間が長時間になるものの、終電が無くなればタクシーやらホテルやらの費用は会社負担になるのが普通らしく、就職も大学を出れば大学側が斡旋して100%就職できるらしい。この状況がいつまでもつか分からんが、大学に入れるくらいの裕福な人にとっては非常に良い状況と言えるかもしれない。こんな好条件におかれていても「仕事が大変なんだよ」と愚痴をこぼす彼に、ライアンと二人で「過酷な労働とはこういう事だ」と一から日韓の現状を解説したらビビっていた。「そんなに働きづめにしたら仕事の質が落ちるのに会社はなぜその様な過酷な労働を強いるのか」とか「若者を就職させない状況は国にとって非常にまずいと思うがなぜ改善しようとしないのか」とか言う。ごもっともな話しだが、経営者にそういう方針の人間が多いのだから仕方がない。行く所まで行ってしまわないと止まらないほど勢いがついてしまっているし。

次の話題はチベット。面倒な問題なので触れたくはなかったが始まってしまった。中国政府による弾圧と殺戮。多くのチベット人が虐殺され、中国語以外を話す事を許さず、文化を根底から破壊して自国に従属させる伝統的な大陸の侵略が今なお行われている事を、またもやライアンと二人で解説する。
今度はこっちがビビる番だった。中国人の彼はチベット人虐殺の件を認めつつも「今は良くない状況だがいずれ中国人とチベット人は友達になれる。だから問題無い。」、中国語の強要と文化の破壊については「そんなことはあるわけない。仮にあったとしても一部だから問題無い。」と言うのだ。台湾・香港に関しても「言語も文化もDNAも一緒なんだから同じ国になるべきなのに、彼らが中国から完全に独立したがっている意味が分からない。」、同じ国になるべきなら中国が台湾や香港になれば良いのにナゼ中国に吸収する事にこだわるのかと尋ねれば「中国は歴史の長い国なのだから、歴史の短い台湾や香港が従うのは当然。」とか言う。僕が「中国はたかが60年程度の歴史しかない国なのだから逆でも問題無いのではないか。」と突っ込んだがあまり効果は無かったようだ。
とにかく中華思想丸出しなので凄い。本人は知的で物分りの良い人間だが骨の髄が中国人なものだから議論が一歩踏み込んだ内容になるとらちがあかなくなる。中国が全てにおいて優れているから他者は従うべきという根拠のないただの刷り込みが基礎になっているからだ。

ライアンも面倒臭えなと思うことがチラリと見える。特に日本の朝鮮統治に至る経緯と統治状況については典型的な朝鮮人脳で考えているっぽかった。なぜ日本が本国そっちのけで朝鮮に優先的に病院や学校や大学、鉄道や道路その他インフラを作ったのか。なぜ短期間の日本統治下で朝鮮の人口が倍以上に増えたのかとか考えた事なさそう、と言うかその事実自体知らなそうだった。ハングルを識字率の極端に低かった朝鮮に広めたのが日本だということも知らないかもしれない。

深夜二時まで鼻水ダラダラ垂れながら討論した結果だが、日中韓が越えるべき壁は高い。二人とも良い奴なのは間違い無いんだが、話せば話すほど面倒な地雷を見つけてしまう。そもそも中国と韓国が世界的にも面倒臭さい国過ぎるので仕方がない話だが。
今のところ致命的な齟齬はあるが、唯一の救いだったのが、お互いに日中韓が友好的に協力できる体制を実現したいと考えているということ。20年後、30年後にどうなっているのか。僕はその時どうしているのか。少し気になった。


【体調不良のコルカタでちょっと観光など】

帰国する韓国人のライアンを朝見送って一人。前回行けなかったカーリー寺院へ行くことにした。
サダルストリートからの行き方はインド博物館の入り口から少し南へ行った所にあるパークストリート駅から地下鉄に乗りカーリーガート駅で下車。そこから徒歩で北へ5分くらい歩けばカーリーグッズやアクセサリーを売る店が並ぶ参道へ出て、後は賑やかな参道を西へ進めば寺院に着く。しかしながら最初の地下鉄駅に行く途中で待ったがかかった。ネパール人と名乗る二人組に「カーリー寺院に行きたいんだがどうやって行けば良い?」と道を尋ねられた。僕も行くから一緒にどうだと誘ったら「まずはチャイでも飲もうぜ」と露店のチャイ屋でチャイをご馳走になった。それからネパール人の友達と名乗るインド人が一人加わり「カーリー寺院でヤギの生け贄があるのは今からだと一時間以上待たないといけないから軽く朝飯食おうぜ」と逆戻りになるが地元民で賑わうニューマーケットの食堂へ向かう。

当然彼らが悪質な詐欺師である可能性を考慮しながら、ネパールやインドの事を話しつつ警戒を怠らない。とは言え、他人に気を使えるネパール人らしい楽しい奴らで、結構会話は弾んだ。
飯屋は最高でも10ルピーのメニューで構成された驚くほど安い飯屋というか軽食喫茶の様な店で、僕は4ルピーのバタートーストと小さなツボに入った甘いミルク粥を、それとネパール人の一人がバタートーストを食べた。残りの二人はなぜか何も注文しない。自分達は朝食を済ませたが、食べていない僕に気を使って飯屋に連れてきてくれたのか。尋ねてみたが「いや、俺はいいから。」と言うばかりだった。

チャイを奢ってもらったのでここは僕が支払い、時間が良い感じになったので再び地下鉄駅を目指す。そして駅直前でインド人に電話が入り「今日は休日なんだが急に仕事が入った。すまんな。じゃあまた。」と彼らはどこかに去って行った。別れ際に「友達の車でコルカタの郊外にある寺院を案内するから11時に待ち合わせな。」と誘われたが体調が悪いし完全に信用していたわけでもないので断った。
インドではよく出会う詐欺師なのか善良な人物なのか判断できない人々。地元のインド人友達がいるのにカーリー寺院への行き方が分からないネパール人。疑問は尽きない。

一人でカーリー寺院へ向かう。

参道はこんな店で一杯。

カーリー寺院着。

寺院内部は撮影禁止なので写真は無い。熱狂的な信者が多いと言われているだけあってクソ暑いコルカタの気温に拍車をかける様に内部は熱気で満たされている。本堂の外にある小さな建物で手際良く子ヤギの首が首切り用の逆に反った大鉈ではねられ、御本尊のカーリーを拝むべく本堂の入口へと信者が長蛇の列を形成している。

生け贄について忌み嫌う人は少なくない。神聖な儀式と銘打ってもただ残虐で野蛮なショーだという考え。僕はそうは思わない。生け贄にされたヤギは後で食肉になるらしく、殺し方の面から見ると屠殺場で物体を処理する様に機械で次々に息の根を止めていくやり方とは違って命に対して敬意を払っているし、ショーといっても大衆の面前に晒される命によっていつも食べている物が一体どういうモノなのか再確認する良い機会になる。ここでヤギの生け贄を見て嫌悪するのは、普段食っている肉をただの美味しい肉塊だと思っているからで、僕にとってはそれがゾッとする現実なのだ。また命を奪うことをタブーとしてベジタリアンになる人もいるが、植物の命をどう考えているのだろうか。奪っても平気な命があるという考えもまた僕をゾッとさせる。これに関してカーリー寺院に参拝しているインド先輩信者に個別に質問したらどんな返答があるだろうか。低俗な人は低俗な、高貴な人は高貴な返答をするだろうと思うが実際は。

生け贄にされる子ヤギ。

子ヤギの断末魔の叫びが一振りの鉈で途絶える光景を脳裏に焼き付け、次に本堂へ伸びる列に並ぶ。
横から割り込んだり後ろから抜かそうとして来るインド先輩を掴んで引き戻し一列に並ぶ指導をしつつ20分は待ったか。やっと本堂に入りカーリー像の前に立つこと数秒、警備員によって外部へと強制排除された。僕だけでなく皆平等にそうなるが、御本尊が凄いモノだけに惜しい。本堂にはVIP用の入口が別にあり、そこを通れるのが多額のお布施をした者なのか上位カースト限定なのかは知らんが、できることならそちらから入ってじっくりとカーリー像を拝みたいものだ。黒い岩に鋭い眼が三つくっつけて(描いて?)いるだけのものだが強烈な迫力がある。周辺の土産物屋でカーリー像の写真が大量に販売されているが現物と比べると月とスッポン、実家の押入れにそっとカーリー像を隠し持ち事あるごとに封印を解いて禍々しい力を全身に浴びたいくらい。

寺院近くの壁にあった落書きだがカーリー像はだいたいこんな感じ。

カーリー寺院は、カーリー像あり、多くの物乞いあり、ヤギの首を盛ったタライあり、ヤギの血が滴った通路あり、強引かつ自然にお供えグッズを売りつけようとする商売人あり、整然と一列に並んだ秩序を乱すインド先輩多数あり、と真に聖域に相応しい空間になっていた。清濁聖邪ごちゃ混ぜ。良い寺院だ。

カーリー寺院付近には良い壁が多い。

これも中々。

カーリー寺院の後で外国人専用鉄道チケット予約オフィスへ向かう途中に発見。ドーナッツか。

メガネ屋のオシャレ看板。

路上のタイプライター職人。

僕が泊まっていた宿の入口で待機中のタクシードライバー。


【またデリー。インド最後の街。】

コルカタを出たのは一昨日の朝だったか。サダルストリートにたむろするタクシーの客引きが200ルピーとか150ルピーと声を掛けて来るのを半ば無視してチョウロンギ通りへ出る。前回はここでタクシーを拾い、確か80ルピーでハウラー駅まで行ったはずだが朝だからかタクシー自体が少ない。通りを走るタクシーはほぼ客を乗せているので止まってくれないし、とうとう徒歩でバス停まで着いてしまって、そこで待機中だったタクシーと100ルピーで交渉成立して駅へ。ガイドブックには最安で65ルピーとあるが、インドの物価上昇と一筋縄ではいかないコルカタタクシードライバーのコンボで未だに相場が掴めない。サダルストリートのタクシーの相場はおそらく150ルピー。頑張っても130ルピーか。誰かとシェアするなら荷物を背負ってチョウロンギまで出るよりもこちらの方が楽ちんでコスパが良いかもしれない。

列車ではビルマ人(ミャンマー人。彼らは自分らをビルマ人と言っていた。)と同じ区画になり、同席者に限ってだがインド列車初インド人0%の超絶快適空間が形成された。足がぶつかったらお互いに「あ、ごめん。」と言う常識ある人間なら当たり前の行為に一々感激したりする。
列車の中では、大声で話さない、他人の席を取らない、自分のスペースを必要以上に確保せず席を譲り合う、他人の席に勝手に荷物を置かない。こんな当たり前の事が当たり前にできる人達にコルカタ-デリー間の列車で同席するとは思わなかった。まるでダージリンの時みたいに「ここインドだっけ?」ってなる。彼らはムスリムで、同じ列車には他にも多数のムスリムが乗車していた。デリーでイベントでもあるのかもしれない。お祈りタイムになると車両のあちこちのベッドでムスリム式のお祈りをしていた。

三時間半遅れでニューデリー駅に到着。気温は40度超えだがこの快適感は何だ。乾燥しているだけでこうも違うとは。ただし空は舞い上がった土埃で黄砂警報状態。
人混みの中軽く別れの挨拶を交わし、彼らはジャマーマスジットのある方へ、僕はメインバザールの方へ。

宿はお気に入りのBajrang Guest House。メインバザールから極細の路地を入った所にあって宿泊客のほとんどがインド人の宿だが、気さくな人柄のスタッフが良い感じでセキュリティ面もしっかりしている。一泊250ルピーのシングルに宿泊中。
三度目のデリー1日目は昼寝と飯と少々のインターネットで終了した。

毎度通っているインターネット屋にて。ビリヤードゲームに夢中になって支払いに対応してくれない店員。「今忙しいから少し待て」と言う。
プロブレムだがノープロブレムだ。

本日は観光をしてきた。インド最後の観光である。まずはチャンドニーチョウク通りとラールキラー。

メインバザールの西の端にあるラーマクリシュナ・アシュラーム・マーグ駅からメトロでチャンドニーチョークへ行った。写真は電車のドアの注意書き。Windowsペイントを用いてマウスで書いた様なカクカク絵。ミニスカートをはいた性別不明の人物の右足が不自然に曲がっている。

駅を出てすぐカッコ良い寺院を見つけた。デリーは古い寺院が少ないらしいが、代わりに新しくて良い感じの寺院を建設しようという動きがあるらしい。

内部では極彩色のヒンドゥーの神々が祀られているが、それに混じってこれがあった。誰か知らんがええ顔。

チャンドニーチョウク通りへ出る。通りを挟んで古い建物がごちゃごちゃ密集しており、通りから毛細血管の様に奥へと路地が張り巡らされ、各エリア毎に同業者が軒を連ねて電気街やら服屋街やらがありジ・インディアという感じで面白い。が、客引きは常にウザい。

チャンドニーチョウク東の突き当たりがラールキラー。入場料250ルピー。敷地面積がクソ広い城?だが、はっきり言って退屈だった。ここに来るくらいなら別に食いたくもないマハラジャバーガーをマクドナルドで二個食べた方がいいんじゃないかと思うくらいだ。


大理石に施されたイスラム様式っぽい彫刻はオシャレで涼しげなんだが、何というか「ふ~ん、良いね。」という感想が精一杯。

次にメトロでアクシャルダム駅まで行き、駅から徒歩10分くらいのスワーミナーラーヤン・アクシャルダム寺院へ。2005年創建の真新しいヒンドゥー寺院で聖人アクシャルダムを祀っている。世界一大きいヒンドゥー寺院だけあって建物がでかい。そして建物全体に施された彫刻が凄い。
敷地内では写真が撮れないから遠くから撮影したのみだが、ライアンが「デリーに行くならアクシャルダムには絶対行っとけ。」と言うだけあってかなり見応えがある。入場無料なのも良い。
セキュリティが厳しく入口でカメラ、携帯電話、タバコ、ライター、食品類等を預け、ボディチェックを受けてやっと入れるが、内部でフードコートやジュース屋があるので困る事は無い。
また、寺院よりもテーマパークとしての性格が強く、大きな映画館や等身大の人形を用いたジオラマ等でアクシャルダムの生涯を解説するアトラクションを催している大型の施設(大人170ルピー)があるが、これはあまりお勧めできない。170ルピー払ってインド先輩の波に揉まれ、後ろから押されたり、体当たりを食らわされたり、インド人のガキにイライラしたい人用。どうせお金を払うなら夜に行われているらしい噴水ショーの方が良いと思う。

明日の夜にトルコへ立つ。デリーから一旦バーレーンで10時間待機した後イスタンブールのアタチュルク空港へ到着するのは5/20の午後二時頃。
トルコについて調べていない。どれくらい調べていないかと言うと、ビザがどうなっているのか知らないくらい調べていない。超親日国家だから大丈夫なんじゃね?と思っている。

名前とエンブレムがカッコ良いラーマクリシュナミッション。

つづく
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その他の写真







ニューデリー空港→メインバザール(パハールガンジ)交通メモ
地下鉄が完成する以前、空港からメインバザールへたどり着くことがニューデリー空港に降り立ったバックパッカーの最初の難関だった。
タクシーかリキシャに乗り込んだ旅行者は旅行代理店に連れて行かれ、高額のツアーを組むまで拉致されるというイベントが高確率で発生した。
中級旅行者は旅行代理店に入らず(入ると拉致される)、「メインバザールへ行け」「その前に中へ入れ」の言い合いを運転手が折れるまで繰り返し、高額ツアーブッキングを回避。
一方、上級旅行者は「俺を旅行代理店に連れて行くとお前はいくらもらえる?」「○○ルピーだ」「同額を俺が支払うからメインバザールに直行しろ」と交渉してトラブルを回避したという。