2022年9月15日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(モロッコその3

 EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

隔週木曜日18時更新。
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【メルズーガからサハラへ2】

陽射しが弱まる午後6時過ぎにベルベル人のガイドが迎えに来た。この日の参加者は僕だけだ。トドラで買っておいたターバンを巻いてもらってラクダにライドオン。

日が沈むまでは風が強かった。砂漠では細かい砂埃によって精密機械が故障し易いらしいので、ビニール袋にiPhoneとデジカメを密封し、撮影する時にサッと取り出してショット!である。


写真じゃ分からないが、起伏が激しい。風の力で砂がこれほどの山と谷を作り出すとは思ってもみなかった。常に登っているか下っているかのどちらかだ。ラクダは揺れが激しいからおケツが痛い。

お世話になったおじいちゃんラクダで「ラクダは楽だ」in サハラをキメた。そしてラクダは楽とは限らない事も確認した。

砂漠の真ん中に椅子とテーブルが置いてある景色はシュールだ。

一時間ほどの所にあるテントでキャンプする。

何するでなく砂漠で飯を食い、寝そべって夜空を見上げる。風の音がわずかに聞こえる。それだけの事が僕を夢中にさせる。いつまでも飽きない。
テントの中は暑いので砂漠に布団を敷いてもらって星を見ながら寝る。夜の砂漠は冷えるので冬場はこれができそうにない。昼間は暑いが夏に来て得した気分だ。月が沈む午前二時半頃までは月明かりで星が鮮明に見えなかったが、月明かりに照らされた砂漠も風情があって良い。月が隠れて暗くなったら天の川と時々流れ星の空に切り替わる。
刻一刻と見え方が変化する砂漠は神秘的だ。無菌の砂の滑らかな流れもデタラメな膨大さも、ここが巨大な砂場ではなく聖域であることを示している。僕が行ったのは砂漠の入り口から2~3km程度だが、サハラの深部はどうなっているのだろうか。

朝、日の出と共に帰路につく。
目が覚めて驚いたのは砂に残る足跡の多さだ。小鳥やトカゲ、犬の足跡まである。ネズミらしき足跡も一種類だけでなく大きさもまちまち、ぴょんぴょんと間隔を開けて前足と後ろ足と尻尾が揃った足跡はトビネズミか。あちらこちらというか、常に何者かの足跡が視界に入っている状態が続く。一見生き物を拒否しているが如き砂漠にも豊かな生態系がある様だ。また、風が吹くまで残り続ける足跡によって追跡が容易であり、天敵からいかに身を守っているのか興味がある。「お前そこに潜ってるだろ」ってバレバレな隠れ方をしているやつもいるし。

ベルベル人のおっちゃんは巨大な砂山で視界が遮られているにもかかわらず、帰り道も迷いなくスタスタ歩き続ける。で、視界が開けた時にホテルへ正確に最短ルートで寄せていると分かる。人もまた偉大である。


【青白いシャウエンの町で】

メルズーガを出たのは一昨日の夜。スープラトゥールのバスが午後8時半発だったので、午後8時に宿から自動車でバス停まで送ってもらった。迎えは無料だが送りは50Dh。宿では良くしてもらって居心地が良かったので、もう少し長居したかったが、いかんせん暑いのでメルズーガより10度以上涼しいと思われるシャウエンに行く。

メルズーガの中心部(と言って何もない小さな村だが)にあるスープラトゥールの事務所は、案の定教えてもらわないと分からない小屋レベルの建物だった。しかしながら、中で就業中の黒人女性は細目のドレッドを綺麗に結い上げた美人で、モロッコでは珍しいハイヒール(しかも白)を上品に履きこなすオシャレさん。さすがスープラトゥールだ。従業員の給料も良いとみえる。
さっそくフェズ行きのチケット(シャウエン直行便は無いのでフェズで乗り継ぎ)を発券してもらう。運賃150Dhと荷物預かり料5Dh。どうやらスープラトゥールのバスのトランクに荷物を預けるのに、場所によって無料だったり有料だったりするらしい。

乗客は僕の他にベルベル人の夫人が二人。暑い上にラマダンなので旅行客は少ない。従業員の美人のお嬢さんを含めた四人だけでバスの到着を静かに待つ。
9時を過ぎてもバスが来ない。さっきからお嬢さんがしきりに電話をかけたりかかってきたりしていたが、何とバスが故障したか何かで運行中止になったらしい。非常に困る。ここからは他社のバスが出ていないので翌日の便しかなくなった。
近くのカフェの兄ちゃんが「宿までタダでバイクで送ってやるよ」と言ってくれたが、また宿まで戻って明日の夜またここへ来るのも面倒だし時間の無駄だ。「近くの町からバス出てないの?」「無いの?」「やっぱりあるじゃねえか!」「リサニ発で22時?!」「間に合うんかい?」「タクシーに200Dh握らせてブッ飛ばせば余裕?」「よっしゃ、それ採用!」という流れで、活の良い兄ちゃんタクシーを急遽呼び出してもらって夜の砂漠道をハイスピードドライブ。午後9時半に出発して際どいと思ったが余裕で間に合った。フェズ行きのCTMバスは満席に近かったがギリセーフで乗れた。突然のトラブルを楽しく乗り越えるコツは「勢いと多少の出費と危険に動じない心」に尽きる。
リサニからフェズまでCTMで120Dh、タクシーが200Dh。諦めて宿に戻った場合は一泊150Dh(朝夕食込み)とバス停までの送り賃50Dhにバス代155Dh。だから出費はむしろ35Dh安く抑えた事になる。さらに時間の節約にもなって面白い経験もできたので随分得した。

途中、爆睡して降りるはずのフェズをスルーし、メクネスでフェズを通過した事に気がついて下車。遠回りになった(と思う)がローカルバスを二本乗り継いで無事シャウエンに到着した。

宿を探しにメディナに入ったら青白い。




全部青白いと思っていたけど、実際は青白くない所も結構ある。が、概ね青白い。涼しげな色合いで統一されていて、最高気温が30度少々と砂漠と比べたら低温なので、いよいよ涼しくて快適である。きっと冬に来たら視覚的にも寒過ぎて泣きそうになるに違いない。

シャウエンに来て二泊目だが明日にはここを出ようと思う。当初はここでゆっくり三泊以上して物欲を消化すべく買い物三昧をしようと考えていたが気が変わった。シャウエンは良心的な金額で買い物ができると聞いていたけど、そうでもなかったから。確かに町外れの土産物屋に行けば観光客ズレしてなくて値段交渉が楽だが、品数が少なくて欲しい物が見当たらない。それに町の規模が小さくて、既に一通り行き尽くした。ならばウザ度は上がるが品物が充実しているであろうフェズに時間をかけた方が良いと考えた。メディナの迷宮レベルもモロッコで最上位らしいし。

でも道端で売っていたベルベル服(名前を忘れた)をうっかり購入してベルベル人デビューした。赤いライトセイバーも欲しい。100Dh。

邪視を払ってくれるらしいファティマの手をusaginingenエコバッグに装着する事でよりオシャレ度が増し、町を徘徊するフランス人旅行者とも互角に闘えるようになった。10Dhで購入。

メディナの広場。

宿の屋上から眺めるとあまり青白くない。


【青白いシャウエンの町で2】

何となく気になったので撮っておいた。

レストランのテーブルにあったイルカ?のタイル画も何となく気になったので撮っておいた。

今日のベルベル人のベルベル服(何て名前だったかまだ思い出せない)の着こなしが何となく気になったので撮っておいた。

袋の柄が何となく気になったので撮っておいた。

顔を見ると絵を描くのが上手いと思うのに、指が4本だし、あえて手を不気味なくらい変形させて描くのが気になったので撮っておいた。

お気に入りのサンドイッチ屋。ツナサラダサンド(ポテト付)12Dh。

つづく
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その他の写真


















ジェラバメモ
文中で「ベルベル服」と書いてあるのはジェラバのこと。
とんがりフード付きのロング丈ワンピースで、普段着から正装まで広く着用されるモロッコの民族衣装。
白のジェラバとつま先の尖ったバブーシュで正装したモロッコ国王ムハンマド6世。

女子がジェラバやカフタンを着てモロッコを旅行するのが流行ってる?

2022年9月1日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(モロッコその2

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

隔週木曜日18時更新。
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【涼しいトドラ渓谷とベルベルパーティー】

トドラ渓谷で四泊。気温は最高でも30度程度。快適である。

宿のベランダからの景色。

川の水は冷たい。

川沿いに続く畑のあぜ道を歩いているとモロッコじゃない感が。この辺りにはアーモンドの木が多いが、何となく日本の農村の雰囲気。

オシャレ道。

唯一の博物館。たぶん裏口。

こちらが博物館の表口のはず。

町(村)のメインストリート。

これは「すれ違いできないよ」の標識か。

通学用のバス?


【涼しいトドラ渓谷とベルベルパーティー2】

トドラ渓谷では主に寝て過ごした。いつも通りだ。変わったことはベルベル人の家に招かれてラマダンブレックファスト(ラマダン中の日没後に食べる最初の食事)を食べた。定番のハリラ(豆のスープ)、ナツメヤシの実を干し柿みたいに加工したもの、砂糖でベッタベタ甘々のドーナツ、ゆで卵、ベルベルウイスキー(中国茶を使ったミントティー)、その他ベルベルピザやら果物や野菜で作った自家製のジュース多種。これらを日没後のアザーン(モスクから放送される礼拝の合図)を聞いてから食べ始める。食事に招いてくれたのは絨毯屋の大将だが、セールストークが始まるわけでなく、ダラダラと腹一杯になるまで雑談しながら食べ続けた。
食事が終わると大将は満足げに仰向けに寝そべって満腹感を味わっていた。ラマダンの期間中に肥るという話は本当らしい。食料の消費量も増える。そもそも断食と言うより聖人だか何かの偉い人の苦行を追体験するとか。僕は勝手に食料不足を和らげる目的で始まったのだと推測していたが違う様だ。それにムスリムはラマダンが好きだと言う人が多い。世界中のムスリムと同じ目的を共有する一体感や、飲み食いを我慢してやって来る夜の食事と家族や友人との憩いの時間が普段より豊かで楽しいものになっている。昼間は寝て、夜は食って遊んで寝る。経済活動は確実に疎かになるが人生を楽しむには良い。贅沢な行事である。

食後は場所を近くのホテルに変えてベルベルミュージックのパーティーだ。ジャンベという小太鼓を鳴らしながら歌ったり踊ったりする。
このパーティーには二日参加した。僕はジャンベを叩いたことがなかったが、飛び入りで見よう見まねで演奏した。聴き慣れないリズムでどんどん即興で変化していくのが楽しい。叩いているうちに基本のリズムに慣れていったがかなり独特だ。ドラム奏者がアフリカンミュージックに惹かれるのも納得。
とにかく陽気で穏やかなパーティーだった。ジャンベは三つあって、熟練した奏者が演奏するとかなりの迫力だが、欲を言うとあと三つあればなお良い。一番楽しそうなのは参加者全員がジャンベ持って皆でドコドコやるの。
ベルベル人が「サンキューベリーマラケシュ!」と言っていた。言葉の意味はよく分からんが、とにかく楽しかったのは間違いない。

滞在四日目にして始めて遠出した。
川を遡って行くと途中で地中に隠れ、涸れ川になる。

ここから一時間ほど歩いたが、行けども行けども同じ景色。暑くはないが空気が乾燥していて水が足りなくなったので引き返した。

道路脇で昼寝中のベルベル兄弟。ラマダン中は水も飲めないので日没までみんな寝てる。店もほぼ閉まってる。困る。

川でも寝てる。

モロッコ国旗掲揚。

今日も畑は清々しい。

もらったチーズの牛がええ顔。

トドラ渓谷では四泊。明日はメルズーガへ向かう。モロッコ観光のハイライト、サハラをラクダで散歩する。


【メルズーガからサハラへ】

トドラ渓谷から下って長距離バスターミナルのあるティネリールへ。この界隈では大きな町だが規模は小さい。ラマダン中なので店はほぼ閉まっており、開いていても開店休業状態である。

歯科医院の看板は「いぃぃ」が多い。閉まってる。例え開いていてもラマダン中の空腹でイライラしている歯科医に大切な歯の治療をお願いする気にはなれない。

ベルベル人のコンピュータお兄さんが経営するパソコン屋は営業中。

ティネリールからメルズーガまでは初のスープラトゥールを利用する。モロッコで最高水準のバスだ。
ここの事務所は小さくて4畳ぐらいしかなく、チケットを買いに入ったら誰もいない。よく見ると机と机の隙間から足が見えたので覗き込んだらおっさんが机の下で赤ちゃんと昼寝をしていた。良い感じだ。すぐに奥さんらしき可愛らしい女性が戻って来て「旦那はラマダン中なのよ。うふふ」と言う。ラマダンは妊婦や子供、病人など体に悪影響があると困る人は免除される。乳飲み子を抱えた母親も免除されるらしく奥さんは元気だ。旦那は力無くむくりと起き上がり「うぃぃ、いらっしゃ~い。どこまで行くの?発券は妻がするからちょっと待ってね~」と言って再び机の下へ潜って行った。

こんな感じの道を走り続けるバスは快適。何と冷房がかかっている。座席も取り付けが緩んでぐらついたり捻じれたりしない。値段も荷物預かり料を取られない事を考慮すると民営バスとほぼ同じ。それにバス停じゃない所で手を挙げている客をいちいち止まって拾わないので移動が速い。凄い。

メルズーガは中心部から離れた所にサハラへ観光するための拠点になる村がいくつかあり、そこのオアシス(Auberge L'OASIS)という宿を予約して迎えを頼んでおいた。バスはメルズーガ中心部か手前のリサニにしか止まらず、中心部まで行くとタクシーで宿まで40Dhかかるらしかった。オアシスを予約して迎えを頼むと無料で綺麗なトヨタのハイラックストラックで拾ってくれる。僕の場合は、オアシスのある村の近くのガソリンスタンドで給油中のバスを宿のオーナーが運良く見つけてくれたので、そこで拾ってくれて移動時間が短縮できた。午後4時にティネリールを出発して宿へ到着したのが午後9時過ぎ。

翌朝、宿の屋上から眺めるとサハラが目と鼻の先だった。眠っていたヤル気が目を覚ます。

夕方出発のラクダでサハラツアーの前に小さな村を一周する。

人がおらん。稀に子供を見かけるが、ラマダン中ゆえに大人はお家でゴロゴロしているみたい。

砂漠の村にもかかわらず、波に人が飛び込んでいる様に見えるマークは何を示しているのか。まさかプールのある喫茶店か?

ええ落書き。

どこかで見た憶えのあるアヒルが気になるが、これはアラビア語の「あいうえお」か?

民家は土作りの平屋が主流。

待機中のラクダ。村にはナツメヤシの畑があるくらいで、主に観光業で存続している村のようだ。

つづく
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その他の写真

携帯電話販売店ではなく固定電話を有料で使える店。





日が当たる時間帯の川

影になる時間帯になると涼みに来る。

GPSで示された現在地(青丸)がメルズーガ。

泊まった宿の看板とロバにライドオン中の少年。

ホテルの一室で行われたベルベルミュージックパーティー。
左からモロッコで活躍中のミュージシャン、ホテルの従業員2名、絨毯屋の大将。

日本対モロッコ戦メモ
メルズーガの宿の自室でくつろいでいると外が騒がしくなり、誰かが強めに扉をノックした。
鍵を開けると立っていたのは宿の従業員だ。
「もうすぐ日本対モロッコ戦が始まるから一緒に観ようぜ!」
テレビと椅子を宿の前の道に並べ、宿の関係者や近所の人々と一緒にロンドンオリンピック・サッカー日本対モロッコ戦を観戦した。
どちらが勝ったか憶えていない。
試合終了後「アマーズィーグの国はサッカー強いね!」と言ったら「日本も強えーよ!」と相手国を讃え合うヨイショ合戦が始まった。

アマーズィーグはベルベル人のこと。
もともと「ベルベル人」は「わけのわからん言葉を話す野蛮人」という意味の蔑称。観光地では自ら「ベルベル人だ」と名乗ったりレストランのメニューに「ベルベル風○○」と書いてあったりと日常的に使われるが、その他の地域や敬意をもって接する時は「アマーズィーグ」と呼んだ方が良い。
ジダン(両親がアルジェリアのベルベル人)をはじめベルベル人にルーツを持つ名選手が少なからず存在することから、ヨーロッパでは「ベルベル人=サッカーつよつよ説」みたいなものがあるらしい?
アマーズィーグはアラビアンに比べて明るめの肌で、青い目の人が多い。