2021年11月18日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(ネパールその1

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【ポカラはなんと心地良い所かと思う】

バラナシ駅7:55発の列車に揺られてゴーラクプルへ正午前に着。駅前で乗り合いタクシーを拾い200ルピーでネパール国境の町スノウリへ向かう。発熱でフラフラしていたが、酷暑で小汚いインドを早急に離れるが無難と判断した僕は、体に鞭打って難儀なインド/ネパール国境越えを決行した。

国境インド側ゲート。50mくらい手前に掘っ建て小屋仕様のイミグレーションオフィスがある。安食堂や両替屋の建物と同化して風景に溶け込んでいるので、あくびをしていると素通りしてしまう。のんびり手続きをする二人のおじさんインド先輩イミグレ係は案外親切だった。

インド側ゲートを越えてテクテク歩くとネパール側ゲート。これを出てすぐ右にネパールイミグレーションオフィスがある。インド側と違って分かりやすい。係りのネパール人はインド側より親切だった。1インドルピー=1.6ネパールルピーが現在の公式レートである事や、ポカラまでのルートについても訊いていないのに教えてくれたり。25ドルと証明写真一枚を渡して15日ビザをゲット。

ネパール時間はインドより15分早いが僕の腕時計はネパール時間に設定できなかった。なので時間は脳内変換する事に。一方iPhoneは国境を越えると何時の間にか現地時間にセッティングされているから凄い。最初にWiFiやGPSを拾った時に位置情報から割り出すのか。

国境では両替をしなかった。スノウリの両替屋のレートは極悪だし、ネパールではインドルピーが使えるという話しを聞いていたのでスルー。ろくでもない店でなければインドルピーを差し出すと1.6倍でネパールルピーに換算してくれる。1ネパールルピーはほぼ1円なので日本円でいくら使っているのか分かりやすい。
イミグレからすぐの所にバス停があり、そこでポカラ行きのバスへ乗り込む。400ルピー(再びインドに戻るまではネパールルピーを「ルピー」と表記する)くらいだった。

バスの揺れは過去最高の鋭さ。道はさほど凸凹していないが、バスのショックアブソーバーとサスペンションがガラクタ過ぎるのだ。窓ガラスのゴムパッキンは劣化して完全に萎縮及び硬化しており、ブレーキを強めに踏むと勝手に前にスライドする自動換気システムになっている。夜の間中、崖っぷちの峠道を低速でぶっちぎるバスが巻き上げる土埃がネパールの冷たい空気に乗って車内にin。
悪路レベルはたいしたことは無い。ラオスみたいなもんだ。

----- 中略 -----

午前五時半。どうやら既にポカラのバス停に着いていた様だ。タクシーや店がぼちぼち営業を始めるまで寝ていても良いよという事らしい。で、この時間に起こされた。
重い体と重い荷物を背負った僕はここがどこか分からず、分かってもガイドブックも地図も無いので意味が無く、適当にタクシーを拾って事前に調べておいた安宿の名前を言ってレイクサイドへ向かう。後で分かったが、バス停から宿が集中するレイクサイドまではそんなに遠くない。230ルピーはかなりぼったくった値段なんじゃないか。ネパリーとは言え観光客相手の輩は安心できない。

宿に着いて少し寝て、健康になるにはとにかく食わねばと食堂を探して散歩する。中級ホテルが多いレイクサイド周辺ではレストランも高い。少し外れに安めの食堂を発見し、チョーメン(焼きそば)60ルピーとチャイ15ルピーを摂取。更に散歩は続く。

果物のミックスジュース屋で一杯50ルピー。オレンジ、パイナップル、ザクロ、ぶどう、リンゴミックス。

「ククリ」というカッコ良いネパールタバコを買ってみたり。

管楽器による演奏禁止か。まさか自動車の警笛禁止とかいう逆に危険な標識じゃないよな。

日本人が作った学校か。

レイクサイドから離れてダムサイドで吊り橋を渡ってみたり。

ダムサイドでは飯屋が安い。サモサ15ルピー、モモが一皿50ルピーなど。モモに使われていた肉はバッファローだと思う。マトン特有の風味が無く、食感はゴムの様に硬い。ネパールもヒンドゥー教が盛んなので牛肉禁止だったと思うが、水牛は牛ではないと位置付けられれいるから食べても良い事になっていると何かで読んだ記憶がある。バッファロー肉のモモもうまい。

ポカラの夕暮れ。街はリゾート地だからかゴミがあまり落ちていない。野良牛がぼちぼち徘徊しているが牛糞地雷もあまり見かけない。インドとは大違いだ。自動車のクラクションで脳が焼かれる事もない静かな湖沿いに並ぶ土産物屋を見て廻るのも楽しい。客引きは当然多いがうっとおしさが無い。なんせインド人がいないから。
僕の体調は寝込む事無くクリーンな環境によって勝手に改善されていった。

僕は今、近所の安めの食堂で軽く朝食とチャイを楽しんだ後、いったん宿へ戻って、土産物屋が言うにはチベタンが作ったいにしえの高価なスプーンw(50ルピーに値切ったが高いと思う)で蜂蜜をちうちうしながらこれを書いている。


【ポカラでは何もしていないので行動力が低下してマズイ】

ポカラでは何もしないぞと考えていたが、そんな事をわざわざ考える必要もないくらいポカラはする事が無い。ヒマラヤ山脈がすぐ目の前にそびえ立っているのでトレッキング目的の人にとってはする事があり過ぎるくらいだろうが、僕は本格的な山装備を持っていないし、新品を買い揃えるなりレンタルするなりして山へ登ろうと思う程興味も無い。故に散歩と食事と昼寝で一日を過ごす。ある意味で地獄の様な所である。

そんな地獄に生息する野良牛の生態を観察。

リゾート地仕様で物価の高いレイクサイドから地元民が暮らすダムサイドへ通う日々。雑貨屋や安食堂がちらほら。観光客の姿が少なくトレッキングツアーに勧誘してくる客引きもいない、非常に居心地の良い場所だ。
これまで雑貨屋や安食堂で「うちの子供は今東京で住んでるんだよ」と言っていた店が3軒。ポカラでは日本に行くのが流行っているのか。

ダムサイドで良い屋台を見つけた。水牛肉入りのモモが30ルピー。焼きそばも30ルピー。安い!そしてうまい!
兄弟であろうと思われる愛想の良いおっちゃん二人が仲良く調理する。一人が野菜やら麺やら調味料やらをフライパンに投入する役で、もう一人がフライパンを持って手早く焼きそばを炒める。余裕で一人でも可能な調理だが、あえて二人でこなしている所が良い。モモを作るもの同じ様に作業を分担している。

サモサ等の軽食を扱う食堂でネパールのカレンダーを発見。4が8、5が9に見えたり、なれないと数字がいくつなのか分からん。10も書き様で30に見える。

銀色の二枚はインドの硬貨。1ルピーは親指を一本立てて分かりやすく「1」を表現。今は手持ちが無いが2ルピー硬貨は人差し指と中指を立てて「2」を同じく表現している。それに比べてネパールの硬貨はネパール数字しか書いていないので「えーと」ってなる。これは多分5ルピーのはず。と思っていたが1ルピーらしい。

下を見ながら歩いているとしばしば牛の蹄がコンクリートにスタンプされている。牛もまた人と同様に半生状態のコンクリートにいたずらしたい衝動を抑えられないのか。

レイクサイドの湖沿いの道には宿の看板が通りごとに設置してあるので、宿探しや迷子になった時に便利。

湖沿いにはこんな店が軒を連ねている。


【ポカラでは何もしていないので行動力が低下してマズイ2】

あまりにも何もしていない事が不安になってきたので、レイクサイドから徒歩で行けるサランコットという小高い山に登ってみる事にした。

レイクサイドから少し離れると住宅地。結構大きめの家が多い。中流以上が住むエリアか。

ネパールのトラック野郎は派手好き。視界が運転席正面しか無いが大丈夫か。写真では確認し辛いがチェ・ゲバラのイラストがある。王制廃止から間もないネパールで早くも不穏な動きか。あるいはカッコ良いから描いてみただけか。

サランコットへの登り口付近に寺院を発見したので寄ってみた。ここはヒンドゥー寺院で、カーリーを主に、シバとクリシュナ(だったと思う)を祀っている。写真はインド人参拝客が列をなしてカーリー堂の順番待ちの図。近くにいたネパリーが「インド人はどこでも騒がしいからノーグッドだ」と言っていた。もっともだ。でもちゃんと一列にインド人が並んでいるなんて凄い。

これはライオンと教えてくれたが本当か。日本の獅子はライオンの様だがライオンでは無い架空の生き物だったはず。これもその類かもしれない。

ネパール王と王妃。現在の王と王妃はネパールでどういう扱いなのか気になる。国民からの支持は今でも厚いのかしら。

寺院を後にサランコットを目指す。余裕のハイキングコースだと思っていたが勾配の急な道が続く。民家があったり小さな寺院や学校らしきものがあったり、非常にのどかな風景が続くが息が続かないので休憩多めで。

山頂まで行くつもりだったが絶景のヒマラヤが霞んでチラリとも見えない。少しくらいは霞が晴れるかと30分間監視したが変化無し。残念だがしんどいので途中で引き返す私。引き際は鮮やかに。それが勝利へとつながるはずだ。

締めはカッコ良い壁。


【カトマンズへ】

ポカラではShanti Guest House(ドミトリー200ルピー)で二泊、Penguin Guest House(ドミトリー150ルピー)で三泊した。いずれも親切なスタッフばかりの良い宿だが、ペンギンではオーナーのアショクおじさんが日本語ペラペラかつ超親日家で何かと世話を焼いてくれて非常に助かった。カトマンズへの行き方やお勧め宿、いろんな情報を丁寧に教えてくれる。

----- 中略 -----

チェックアウトの時にチャイをご馳走して頂き、午前七時に乗り合いタクシーでバス停へ出発。三人でシェアして一人50ルピー。バス停でカトマンズ行きのバスに乗り込み、やや遅れ気味に発進。
記憶ではポカラは『Dr.スランプ』のペンギン村のモデルだったと思うが、そんなのどかな町にはこの先当分行けないかもしれない。もう少しゆっくりしてみたかったが、ゆっくりすればするほど時間の感覚が麻痺する地獄の様な場所なだけに「キーーーン!」と猛スピードで疾走する少女が現れる前に立ち去ることにした。

今回のバスは小型で窓ガラスがガタつく事も無く綺麗ではないが快適だ。ラオスでもそうだったが、アップダウンの激しい細くて蛇行した峠道を何時間も走る場合は小型車両が良い。大型バスやトラックとすれ違うのも簡単だし、車体が軽い分登り坂でも速度が保てる。
道自体はそこそこ舗装されていて乗り心地は悪くない。故障等のトラブルも無し。事故って崖に落ちかけで停車していたり側溝に脱輪してお手上げになったバスやトラックを10台程度見たくらいだ。

どこかの川。

どこかの民家。ネパール語には「水平」「垂直」に相当する言葉が無いのかもしれない。家屋を構成する柱、屋根、梁、窓、扉等いろんな向きに斜めである。建物を一周して眺めると経年による歪みにしては不自然な個所が多々あるので新築時からまちまちに斜めなのではないか。ネパールに入ってからこの様な状態の戸建住宅が目立つ気がする。ヒマラヤができる程プレートがダイナミックにぶつかっている土地なのに大丈夫か。

本日も霞んで遠くが見えにくい。

途中、パーキング横にあった小さなシバ寺院のナンディ(シバ神が乗る牛)が緑。この色は見たことがなかった。

立派なお寺が見えたから、これは山門か。眼がついている門はカッコ良い。僕も門を作ることがあったら眼を描こうと思う。

カトマンズが近くなると建物が増える。

約8時間でカトマンズ着。バスから降りたら寄って来る客引き。ごちゃごちゃした街並も合わさってカトマンズはインドみたいな所かと少々がっかりしたが、実際は違っていた。自動車の交通量が多くインドの様に土埃が巻き上がりっ放しだが、カトマンズにしかない独特な雰囲気がある。

タメル地区北側、長距離バスのバス停がある通り。

旅行者が集まるタメル地区の安宿街。
カトマンズの宿はペンギンのオーナーに紹介していただいたチェリーゲストハウス。シングル一泊350ルピー。設備的には可もなく不可もなしだが安心して寝泊まりできる。スタッフの皆さんが良い。

細い道が入り組む街中にはサイクルリキシャーあり。

タメル地区の外れ。僕の大好きな安食堂があるエリア。タメルの中心部は割高なツーリストプライスのレストランが多い。

つづく
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その他の写真




ポカラからのトレッキングメモ
ポカラからのトレッキングで人気なのは2~3週間かけてアンナプルナを一周するコースで、行った人に写真を見せてもらったら絶景ばかりで驚いた。
ルートには要所ごとに宿泊施設のある村があり、ガチ登山装備でなくても十分回れるとのこと。
山好きなら一度は行っておきたい山の一つ。

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