2021年10月28日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその11

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【マクロードガンジの】

ガイドブックにダル湖は散歩に最適とあったので行ってみる。


途中のレストランでチョーメン40ルピーとチャイ6ルピーとマトン入りモモ(ハーフサイズ)35ルピーを食す。
値段の割に量が多い。モモなんかはこれの半分くらいだと思って注文したのに大きいのが9つも皿にのって出てきた。マクロードガンジは高地で交通の便が悪く、物資の輸送にコストがかかるためか物価が高い。でもここのレストランは安い。それに美味い。お腹パンパンで大変満足でございました。場所はダル湖の200m手前くらいだったと思う。シェフはインド人。

一時間以上かけて歩いて来たのに何という事だ。ダル湖は人造の小さな溜池じゃないか。静かな湖畔の森の影から♪みたいなのを期待してたんだが、せめて馬でモヤモヤした気持ちを誤魔化すしかない。

眉毛があるように見える。困ったウマー。駄馬のくせに僕を蹴り飛ばそうとしやがったが当然華麗にかわした。見かけによらずアグレッシブな奴。今期の「暴れん棒将軍」の称号はこの困ったウマーに与えることにした。

ダル湖に面した寺院の壁にあったんだが、これは誰だ。デフォルメしすぎて特定が困難なレベル。

写りが悪くて見えづらいが中央にアザミの花にとまっている蝶が二匹いる。昨日、結婚式会場付近で見かけたのと同じの。今日はダル湖へ行く道すがらずっと飛んでいた。蝶は低空をヒラヒラ飛ぶものだと思っていたが、これは3~5mくらいの高い所をヒラヒラするのが好きなようだ。

マクロードガンジではテントウ虫もよく見かける。ナナホシテントウに酷似しているがホシの入り方に魂が籠っていない。

時間は潰せたがダル湖には絶句した。怠いという意味でダル湖に違いないし、湖と名乗るには規模が小さすぎる。ダル池にしてしまえ!このダル野郎が!ハァハァ
ダル湖そのものよりも、そこに辿り着くまでの過程を目的とした方が良い。蝶を見れたし美味い飯を食べて馬に蹴られそうになったので悪くはなかった。

そう言えば一昨日、この抜群にカッコ良いストールを衝動買いしたんだった。この町は土産物のレベルが高い。あるいは僕好みの品物が多いと言うべきか。ウール素材の衣料品の質はこれまでで一番良いように思える。衣料品の買い物はバラナシまで我慢しようと思っていたが、なんせカッコ良いからウッカリ買ってしまうのも仕方がない。ウール&シルクの生地に手縫いの刺繍入りで650ルピー。

今日も寺院に声明と舞を見物に行く。実は昨日も行ったけれど17時に着いたら丁度終了してモンクの皆さんが本堂から退席するところだった。初回も同じくらいの時間だったが始める時間は大雑把なのかもしれない。そもそも毎日同じ事をやっているとも限らないし。なので今日は16:30に着くように行った。
本堂ではさっき始まったばかりという感じ。予想通り日曜日でギャラリーが多いのでモンク達も読経に気合が入っているようだ。楽器の音も激しい。良い感じだ。

後半に現れる鬼?は赤と紺(深緑かも)の二体。舞が加わるとより空間にテンションがかかる。イカス。

隣でブツブツ念仏だかマントラだかを唱え続ける白髪の白人魔女おばさんがうるさかった。こいつさえいなかったら声明の世界にもっと浸れたのに残念だ。インドの北部山岳地帯には瞑想を訓練する寺院やアシュラムが多いから、そこで中途半端に訓練して勘違いしたアジアかぶれの白人も目立つ。ほとんどが宿のベッドの上とかで黙って足組んで座っているだけだから害はないが、稀にこの様に害のあるのが居る。

困ると言えば僕が泊まっているドミトリー。7ベッドあるが僕以外は全員女性だ。毎日何人かずつ入れ替わるもこの状態が続いている。マクロードガンジへ来るだけあって皆もの静かで上品であり、ベッドの上に下着やら化粧品やらをぶちまいたまま外出するようなのはいない。寝る時も静かにスヤスヤ眠る。しかしこういう場合もこれはこれで気を使うので、お布団の中でも完全にリラックス出来ない日々が続く。


【マクロードガンジを】

マクロードガンジを出る。バスは17時発だから宿をチェックアウトした後、荷物を宿のレセプションに預かってもらい町をうろついて時間を潰す。
チェックアウトしたが、僕は最後までチェックインしなかった。普通はパスポートを提示し少なくともサインくらいは書く必要があると思うが、それらを一切していない。会話の中で日本人である事や名前(姓は名乗っていない)を喋っただけ。で、「チェックアウトプリーズ」と言って四泊分の宿泊料400ルピーを支払って終了である。大丈夫か。

まず腹ごしらえにmomo cafeに行く。表通りから狭い通路の階段を降りた所の小さな倉庫を店にしている。昨夜もここで食べたがモモがとても美味しい。この界隈で一番じゃなかろうか。
昨日はベジモモを食べたので今回はマトンモモを注文した。すると「肉屋にマトンがまだ無いから一時間かかるけど良い?」と言う。僕は暇なので問題無い。取り敢えずチャイを注文して待つ事にした。
この店からの眺めは良い。少々木が邪魔をしているがヒマラヤと山の斜面の町並みも見える。マトンの到着を待ちながら店長と雑談する。彼は21歳で1人で店をやっている。名前は確かアジョシュだったはず。モモの味は間違いないのに儲ける気がない彼は、奥まったこの場所に店を移転して気ままに営業しているようだ。

どれくらい話しをしていたのか、ヒンドゥー教の神々の物語やお勧め寺院などを聴いているうちに12時になっていた。入店したのが9時過ぎだったから僕は腹ペコだ。どうやらマトンは入荷せずまだ時間がかかるらしいので、ダル(煮豆のマサラ控えめカレー)をご飯にかけて彼と一緒に食べた。食後、ダルとビッグサイズのチャイ二杯分の代金を支払うが全部で60ルピーで良いと言う。マジで儲ける気がない。チャイは量で言えば一杯で20ルピーはとっても良い大きさだった。「僕は10ルピーもあればご飯が食べられるからね。沢山のお金は必要ないんだ。」と言っていたのは本気だったようだ。
僕はどうしても彼のマトンモモが食べたかった。「3時にもう一回ここに戻ってこようと思うけどマトンモモ作れる?」と尋ねたらOKが出たので、それまでネットカフェでインターネットなどをしてから宿で荷物を受け取って再度来店した。
マトンは無事入荷されたらしく注文と同時に手際良くモモを調理し始めた。蒸す時間が長いので20分くらいかかったか。目の前にお待ちかねのマトンモモがスープと一緒にトンと置かれた。

うまい。良い味だ。二種の辛子があってモモにちょっと付けて食べるとより美味しい。
ヒマラヤと山の斜面をヒラヒラ飛んで行く蝶を眺めながらジューシーなマトンモモをじっくり味わった後、バスまでまだ時間があったのでアジョシュからガネーシャの頭が象になった話しを聴かせて貰い、これをもってマクロードガンジ最後の楽しい一時は終了した。

アジョシュにこれと同じサイババシールをあげた。デリーで2枚セットの物を買って1枚いらないからあげたのだ。彼はさっそく店の神棚の所に貼った。

momo cafeを後にしてバス停へ向かう。行ってから気がついたが、大きなホテルの廃墟だと僕が思っていた物がバス停だった。

この階段を降りるとバス停。遠くからこの建物を見ると、壁がなくなって骨組みだけが残った建築物に見える。

デリー行きの夜行バス。フロントガラスにデラックスと書いてあるが良い冗談だ。あるいはインドではSEMIと書く事で全否定の意味になるのか。チケット売り場のおじさんにスリーピングバスかと念を押したのに普通の座席だったのもポイントが高い。いつも通り走行中は縦に鋭く振動するし、それに合わせて隙間風ビュービューの窓がけたたましく鳴る。インドは期待を裏切らない。

途中、夕食も兼ねた休憩でしばし停車。近くのトイレの男子便所入口に「ここが男子便所」的な文字の隣にこの絵が。これほどムカつく表情は中々描けるものではない。顔のパーツの絶妙な崩し方といいプロの仕事だな。

座席の狭さ、揺れ、騒音等を総合するとベトナムのフエ→ホーチミンに次ぐ疲労バスだった。走行時間の差でベトナムローカルバスの勝利となったが、今回のが24時間かかっていたらインドローカルバスに軍配が上がっていたかもしれない。17時にマクロードガンジを出発して翌6時前にデリー駅(ニューデリー駅とは別)近くのISBT(Inter State Bus Terminus)に着いたから13時間の移動か。

ISBTから地下鉄駅までの道にゾウ。木の枝をバッキバキに折って遊んでいた。ゾウを何に使うのか知らんがウンコで道が凄い事になりそうだ。そして飼い主はどこだ。辺りには路上でいつも寝ているインド先輩達しかいないが、まさか食費だけでもバカにならない巨大な生き物を彼らが飼っているはずもあるまい。

地下鉄でKashmere Gate駅からNew Delhi駅まで10ルピー。切符はトークンタイプ。車両はインドのくせに結構綺麗。改札やホームでは多くの軍人が警備しており、列車の中にも乗り込んで乗客をチェックする。この感じ、非常に中国と似ている。

地下鉄を出てからメインバザールへ行き、適当な宿を見つけてチェックイン。溜まった洗濯物を手洗いし(マクロードガンジの宿では水を水源からトラックで運んでおり貯水量に限りがあるため洗濯は禁止。ランドリーサービスはあったが高かったのでやめた。)、軽い朝食とラッシーを摂取した後、ニューデリー駅の外国人専用窓口にてバラナシ行きの切符を購入し、現在は宿でお昼寝から目覚めたところである。


【デリーからバラナシへ行く前に】

バスでデリーに着いたその日の夜にバラナシへ行ってしまおうと考えたが、運良く当日のチケットが取れずに出発は翌日となった。連続して移動を重ねると感じるよりも疲労が溜まる。休養は大切である。

二度目のデリーだが、前回同様特に観光する予定は無い。近場にラールキラーやクトゥブミーナールなどの観光スポットは沢山あるが、面倒臭いし入場料が高いのでそのうち。インドからネパールへ行ってまたインドへ戻り、その後デリー空港からトルコのどこかへ飛行機で行くと思うから、その前にインドルピーが余っていて、かつ気が向いたら行く。今日は行かない。

ゴロゴロし続けるのもアレなのでカーリー寺院に行ってみた。こぢんまりした寺院だが味のあるところだ。

中に入って拝んでいたらオデコにオレンジ色の粉をベッタリとつけてくれて、さらに写真の物を新聞紙の切れっ端に包んで手渡してくれた。中身はマリーゴールドの花と砂糖を固めたお菓子。内部に祀られた神々の像を観賞するのに夢中になってお布施をするのを忘れて出て来てしまった。貰いっぱなしだ。せめて10ルピーくらいは置いて来るべきだった。

猛烈に肉が食いたかったのでタンドリーチキンをハーフサイズ注文した。肉料理は高めで150ルピーしたが、美味いから財布の紐が緩くなる。まるごと一羽食べようかとも思ったが、腹八分目というやつで食い過ぎは良くない。一羽頼んでいたらゲロ吐きそうになっていたに違いない。

夜のメインバザールの風景を少々。これは雑貨屋。

土産物屋。

ちょっとつまむ系の屋台。

牛も活動中。

平日でも旅行者や地元民でごちゃごちゃしている。

そして常に汚い。

つづく
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その他の写真




のら牛メモ
「のら」と言うと捨てられて半野生化した牛の様に聞こえるが、街でフラフラしている牛にも飼い主がいるらしい。インドでは基本的に牛肉を食べないので、乳を出さない牡牛は何か役割があるわけでなく放し飼い(放置)され、結果、餌を求めてフラフラと街を徘徊している。

2021年10月21日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその10

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【マクロードガンジへ】

アムリトサルのバス停から出発したのが昨日の正午。それまではシーク教徒の青年三人と黄金寺院に朝の礼拝に行った後、寺院の施設で無料の食事をお腹の調子を考慮して少量食べ、門の近くにあるコカコーラが安く提供している売店(300mlの瓶入りコーラ、リムカ、ファンタオレンジなどが5ルピー)でスプライトを奢ってもらって乾杯し、後は彼らの部屋でゴロゴロしていた。もう一泊して一緒に遊ぼうぜと誘われたがアムリトサルはだいたい行き尽くしたし、WiFiが使える店が見当たらないし、禁煙だしで、「俺行くわ。サースリアカール!」ということで11時になってから荷物を取りに僕の宿へ戻り、サイクルリキシャでバススタンドへ15ルピーで行った。確かこんな感じだった。

アムリトサルとダラムサラの中継点であるパタンコートでは、ワル仕様ロングボディのオートリキシャが主流だった。カッコ良いが小回りがきかず駐車場での車庫入れが大変そうだった。

7時間程度で着くと思われたバスは大幅に遅れ、約八時間半後の午後八時半にダラムサラに着いた。旅行者が多いダライ・ラマ法主公邸のあるマクロードガンジまで更に30分程度かかるが、どうやら到着が遅れてバスが終了していた。しかも標高が一気に上がったので寒い。Tシャツにヒラヒラのズボンでは死んでしまう。僕は自分が凍死する前にマクロードガンジに行きそうな外国人4人と合流した。ミニバンを一人50ルピーで雇って出発。ヒマラヤ山脈目前なだけあって急な坂道をクネクネ進む。

マクロードガンジの中心部にある狭い広場に到着後、皆目当ての宿へ向って散り散りになる。僕が目指すのはLadies Venture G.H.。男性は泊まれそうにないが実は泊まれるという紛らわしい名前の宿。細く蛇行して急な下り坂を5分くらい歩いた所にあった。インドで泊まった宿の中で最も綺麗である。しかも安い。
ドミトリーで100ルピー、掛け布団付き、ホットシャワー有り。凄い!

オーナーやスタッフは猛烈にのんびりしていて、僕は泊まってから丸一日経った今になってもまだチェックインできていない。
昨夜「チェックインプリーズ」と言ったが「手続きは明日だ。ゆっくりしなさい。」と返答があり、今朝「チェックインプリーズ」と言うと「飯食ってからだ。エンジョイしなさい。」と返答があり、昼前に「チェックインプリーズ」と言うと「オーナーがどこか行ったから後でな」と返答があり、夕方になって「チェックインプリーズ」と言うと「オーナー帰ってこねーな。まぁチェックアウトの時にチェックインの手続きすれば良いよ。」と返答があり現在である。
この宿もそうだがそもそも町全体が猛烈にのんびりしている。ダライ・ラマと共にこの地へ亡命した多くのチベット族はもちろんインド人までもおっとり優しい微笑みで迎えてくれるのだから凄い。見てくれは完全にインド人だが「お前は本当にインド人か?」と問い詰めたくなる。中国の香格里拉の中国人をそっくりインド人に変えたら必然的にこうなると頭で分かっても非常に妙な印象を受ける。

曇りがちで見えないが、手前の山のさらに上にヒマラヤ山脈がそびえ立つ景色は圧巻だ。宿の近くでは学校で騒ぐチベット族の子供達や、僧侶見習いのちびっ子モンクの問答の練習の声が聞こえてくる。

小籠包タイプのモモ。チベット料理。赤いタレを付けるとより美味しいが、この露店のタレは極悪の辛さなので付けすぎると絶命する。

町中のチベット寺院。こんなタイプもあるみたい。

ごく稀に牛。

道はアップダウンが激しい。本日は近くの無料WiFiのある喫茶店に行った以外は宿でスタッフや宿泊客とだべりながら過ごし、夕方近くにダライ・ラマ法主公邸横のチベット寺院へ行った。

斬新な構図だ。僕には描けない。

運が良い事に本殿ではお経(声明?)と舞が奉納されている最中だった。チベット密教系の声明は超低音の発声と雷が落ちる様に突然炸裂する楽器の爆音が特徴的だ。僕はCDを買って何度も聴いていたので馴染みがあるが舞が合わさるとさらに奥行きができて圧巻だった。規模の小さいものでこの迫力だから、ラマ教最高クラスの楽団(僕が持っているCDの)の生の声明をぜひ体験してみたい。もちろん本気の舞もセットで。

坊様たち。

ダライ・ラマのお膝元とはいえ小さな寺院だが仏画や仏像はいい感じ。


【マクロードガンジで】

下痢が治ったと思ったら今度は発熱だ。微熱程度だけれど体調が悪いのは辛い。夜中の急な雷雨でかなり冷え込んで、それで体調が崩れてしまった。山の天気は変わりやすいと言うが、にしても変わりすぎだと思う。雨が降ったと思えばすぐに日が出たり、さっきなんかは雹とアラレの中間くらいのがバラバラと落ちてきた。気温も天気次第で激しく変動するから、一日中ジャケットを羽織ったり脱いだりと忙しい。

昼まで寝込んでいたが寝続けるのも辛いので外出する事にした。シバ寺院と滝のある方へ。

この辺りの電柱は概ね斜め。真っ直ぐ立っているのを見つけるのが難しい。

インドはどこに行っても「これで大丈夫なのかな?」と思うポイントがあって、地域によって大丈夫じゃなさそうな物がそれぞれ違ったりする。で、案外大丈夫だったりする。ただ大雨や地震などの度を越した力が加わると、それらは一気に崩壊し、被害甚大の危機的状況になるのは間違いないのだから、やはり大丈夫ではないとするべきか。
インドはどこも大丈夫とは言えないのと同様に、インドはどこも汚い。標高2000m付近の山岳地帯で、かつダライ・ラマのお膝元なのだからそこそこ綺麗だろうと期待したがそんな訳はなかった。道沿いの水路にはヘドロとゴミが堆積して異臭がしているし、山道でもゴミが大量に捨ててある。住んでいる絶対数が少ないので、その分ゴミも街と比べれば全然ましだが汚いと言って差し支えはない。
インドには綺麗な場所など無い。あるとすれば、それはインド人がいない所である。

稀に少しだけ姿を見せるヒマラヤ。頂上付近にはインド人が住んでいないから、きっとゴミが少ししか落ちてないだろう。

滝。遠くにちょろっと写っているのが分かるだろうか。道が整備されているので近くまで行けるが、しんどいし面倒臭いし遠くからでも滝のショボさが確認できたので、喫茶店の三階席からレモンジンジャーハニーティー(20ルピー)をちうちうしながら眺めて満足した。

シバ寺院も小さくて気合が入っていなかったが、これは良い感じ。

蝉だと思うが凄い色だ。目立ちすぎて即食われてしまいそうだが大丈夫か。それとも毒があったり、無いけど毒持ってるぞアピールをしているのか。

帰り道で結婚式に出くわした。これは皆に飯を振舞う会場。片付けと次の客人に出す料理の準備に大忙し。

こちらは音楽と踊りの会場。おっさん二人が曲に合わせて踊る。新郎新婦は退席中だったらしく残念ながら姿は見えなかった。

結婚式の参列者の車で道が渋滞。両側に駐車された道の真ん中をクラクションを鳴らしまくりながら通行する。滝の方へ行き来する車が多いので大変だ。
この道を歩いていると沢山の白い蝶が道沿いに町へ向かって飛んでいた。次から次へと蝶が式場の方からやって来て町の方へ消えて行く。結婚式とは関係ないだろうが、こんな時は関係あると考えた方が幸福度が高まるのでそう思うようにしている。

山の斜面に広がる町。

今日の町中。


つづく
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その他の写真とか




激しいタイプの声明

超低音の声明

チベットメモ
旅行中によく耳にしたのは中国共産党の同化政策によるチベット人弾圧および虐殺。
若い男を強制でチベット外に出稼ぎに行かせ、若い女を犯して漢族の子を身ごもらせる。
三人以上が同席した場所でチベット語を使っての会話を禁止したりその他多くの禁止事項があり、守らなければ逮捕して拷問の末に殺害する。
言いがかりで連れていかれる事もよくあるという。
チベット侵略に対して僧侶の焼身自決による抗議も連日のように行われていた。
「フリーチベット」が盛んに叫ばれた時期で海外メディアの報道や各国政府からの抗議も激しかったが日本大手メディアからは実情が報道されていない。
中国共産党によるチベット侵略は現在も継続中。
ダライ・ラマの後継者問題も危機的状況にある。
チベットには中国、東南アジア、南アジアの水源が集中していて地下資源も豊富。

2021年10月14日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその9

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【デリー食べ歩き】

今日はデリーでかなり飲み食いしたのに写真を撮るのを忘れていた。 昔から安宿街として有名なメインバザール(パハールガンジ)は食堂の価格が高い傾向があるが、その代わり美味い店が多い?朝一で食べたチーズ入りのドーサは80ルピーもしたが味は高いだけのことはあった。
まだ少々熱があるが胃腸の調子はすこぶる良いので、とにかく食って治そうということで朝食後すぐに有名なラッシー屋に行った。

少年と青年の狭間くらいの歳で店を切り盛りする彼らのラッシーは美味い。ビッグサイズのラッシーが20ルピー。他にもバナナ入りやリンゴ、ぶどうなどのミックスもできて何度でも通える店だ。

満腹で宿に戻る途中、50人ぐらいのインド先輩達が密集して騒いでいたので暴動が始まったのかと思って近づいたが違ったようだ。近くにいた人に訊いたが僕の英語力では理解出来なかった。何かを主張する集会の様な物だと思う。テレビ局のバンが一台停まっていた。

街角の小さなお堂。表情がこれまでと違う。

隣にはサイババ爺さん。

デリーの旧市街はゴミ多め。

デリーのジャマーマスジット(街で一番重要なモスクをこう呼ぶらしく各地にジャマーマスジットがあるらしい)は入場料200ルピー、カメラ持ち込み料200ルピーなので入るのをやめた。せっかくなので、そこらで遊んでいた少年を集めて写真など。

東門の前は土産物屋で埋まっている。これは外れの方で、中心部は人でごった返していた。絨毯や寝具の店が目立った。女性服の店には派手な生地が並んで華やか。

礼拝が始まった。スピーカーからアザーンが流れて人々が足早にマスジットの中へ。


【デリー食べ歩き2】

マスジットからの帰り道。機械屋や金物屋が多い。路上でエンジンをバラしていたり、オートリキシャのメンテをしていたり。

ニューデリー駅前の食堂では店前で客の呼び込みをやっていた。首都だけあって活気のある街だ。

メインバザールに戻って夕食を取る。お腹には鳥肉が残ったままだが、グリーンピースのカレーとチャパティ4枚を食べた。超満腹。

締めは朝行ったラッシー屋で。クソ美味い。

その他、チャイを3杯ほど、行く先々で。だいたい7ルピーが相場か。チャイで分かる各地の物価。

デリーはムンバイ並みにごちゃごちゃしているが悪い印象は無い。ハエの数が群を抜いて多いが案外過ごしやすいところだ。スリを一人返り討ちにした以外は特に危害を加えてくる輩はいなかった。インターネット屋もWiFi1時間30ルピーと良心的で良い。

去年だったか、メインバザールの道がコンクリートで舗装された様で、その影響か野良牛が少なかった。

デリーでは一泊のみで明日はアムリトサルへ向かう。


【アムリトサルに行くとターバンに囲まれる】

デリー→アムリトサルの列車に乗ったとこから異変が起こった。インド先輩達が写真の様な人ばかりなのだ。
シーク教徒は背が高くてがっちりした体格の人が多く、頭に色とりどりのターバンを巻き、そしてウザイ。インド人のウザ度の平均値を1インドとした時のシーク教徒のウザ度は1.5インドくらいか。体がでかい上に狭い二等座席でふてぶてしく股を開いて座ってリラックスするのが好きなのだ。「お前の足を引っ込めろ」と手で軽く押してやれば「おぉスマン」と一時的に改善されるが、それも時間の問題。この点はノーマルタイプのインド先輩を強化した感じ。

7時間程度で到着したアムリトサル駅からサイクルリキシャで黄金寺院へ。
シーク教徒多すぎワロタ。シーク教の聖地だけのことはある。ターバンを巻いていないことが恥ずかしいと思うほど男は皆ターバン着用済み。

今回の宿はシーク教の巡礼宿。寺院の南東にある宿泊施設の外国人専用ドミトリーは無料で、チェックアウトの時に寄付金として好きな金額を払う。もちろん払わなくても良い。僕は二泊して100ルピー渡した。

と、ここまで書いたが出来事の前後関係がはっきりしなくなってきた。また下痢で丸一日寝込んでしまったのだ。黄金寺院では無料で食事を提供しており、それを昼夜と食べて腹が痛くなった。回転率が世界一かもしれない食堂(と言うか座る用の30cm幅の絨毯を何筋も敷いてあるだけの何も無いだだっ広い空間)で大勢のインド先輩と床に座って、係りの人が次々と器に飛び散らせながらカレーやら甘いミルク粥を注いでくれる、まるで精進料理のような不味い飯を食べたのは良い経験になったが。
そこから丸一日寝たきりで、飯を食わずに日本から持参したポカリの粉を通常の二倍に希釈してちびちび飲み続けた。これでほぼ治ってしまった。大塚製薬凄い。

シーク教徒には七つ道具の様な物があって、ターバン、ナイフ、鉄のブレスレット、小さな櫛などなどを身につけている。宗派によってターバンを巻いてなかったりとかいろいろあるっぽいが概ねこんな感じ。
刃がついているか分からないが、中には刃渡り70cmはありそうな刀を帯刀していたり、盾を背負って甲冑で完全武装した人もいる。そんな方々がいそいそと黄金寺院に参拝しにやって来るので、ここだけインドであってインドではないような、しかしインド以外のなにものでもないような、そんな奇妙な雰囲気がある。
また、シーク教徒だらけのこの街では基本的に全エリア禁煙になっている。シーク教では戒律で喫煙を禁じているから道端に吸殻が一切落ちていない。

黄金寺院の中。白い建物に囲まれた中庭は池になっていて信者はここで沐浴する。この池には鯉がいる。そして回廊の角ごとに飲み水を提供する場所があって、そこで食器を洗った排水が池に流されているので綺麗な池だとは言えない。
池の真ん中にある黄金寺院の本殿には純金が使用されているらしい。中にはシーク教の御神体である聖典が祀られ、そこで歌と演奏が常に奉納されおり、その音声が寺院全体に放送されている。

黄金寺院の入口の床。ナマズ、鳥、亀、花。

壁にはいかにもインド人な絵(象嵌)。

警備担当者は槍装備。

一部床を修復中。セメントを大理石の床で練るあたりが流石インド先輩と言わざるを得ない。日本人には無い発想だ。観察していると回廊のあちこちにセメントが床にこびり付いたままの所がある。

下痢腹を抱えたままパキスタンとの国境であるワガへ乗り合いタクシー(ミニバン)で夕方のセレモニーを見物に向かう。

ここでは毎夕、両国の国旗を降ろすセレモニーが行われているが、まるでお祭り騒ぎだ。気合の入った兵士のミュージカルの様に滑稽な程大袈裟な動き、スポーツ選手の様な白い服のお兄さんの音頭で「ヒンドゥスターン!ヒンドゥスターン!」と観客も大騒ぎ。パキスタン側はインド側より人数が少ないが賑やかさでは負けていない。両国のプライドのみが火花を散らすイベントだ。
外国人は眺めの良いVIP席に通される。パスポートチェックが何カ所かあるので必携。なお、タバコやライターやマッチ、その他怪しげな物は持ち込み不可なので、ボディーチェックで見つかると道端に投げ捨てられる。とられていなければ帰りに拾えるが。

始まりから終了まで30分くらいか。ずーっと盛り上がりっ放しだ。乗り合いタクシーで往復80~100ルピーで行けるので一見の価値あり。

乗り合いタクシーで一緒になったシーク教徒の若者三人と意気投合し、アムリトサルを立つ直前まで一緒に過ごした。黄金寺院への参拝を夜と朝で二度、イギリス軍によるシーク教徒虐殺があった公園に参りに行き、彼らの泊まっている部屋でゴロゴロしたり、ターバンを巻いてもらって外をウロウロしたり。

アムリトサルのあるパンジャブ州の挨拶を教えて貰った。パンジャビーでナマスカール(ヒンディーの丁寧な挨拶)に相当するのが「サースリアカール(Sat Shri Akal)」だそうだ。

他に何があったか良く思い出せないので、気になった事を幾つか記しておこう。
ワガ国境のセレモニー会場はハエ多め。
黄金寺院に入る参道に足を洗う水を溜めた場所があるが、シーク教徒は皆が足を洗ったその水を手ですくって軽く口に含み、吐き出さない事から飲んでいると思われる。で、残りは額や頭にかける。僕は額や頭にかけることはできても口に含むことは出来なかった。
シーク教徒同志は結束が強く、よく道端で立ち止まり挨拶を交わす姿を見かける。道が混んでいるとウザイ。
インド全体に言える事だと思うが、既婚女性は、いわゆるおばさんは、デブばかりだ。サリーの隙間からナンセンスな幾重の肉を見え隠れさせながらノッシノッシとゆっくり歩く。その上気ままでトリッキーな動きをする。右へ曲がりたいと思えば周囲を確認する事なく突然曲がり、止まりたいと思えば混んでいようがいきなりピタッと止まる。直進したければ正面の人を無理矢理掻き分けて突破し、デカイ荷物を背負ったまま急に振り返って他人にぶつけようとも意に介することは無い。シーク教徒(男性)を抜いて2インドのウザさである。

つづく
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その他の写真

メインバザール

デリーの商店街

ワガ国境。奥の黒い軍服がパキスタンの兵士。

一緒に過ごしたシク教徒の青年と私。映っていない撮影役一名も彼らの友達。

夜の黄金寺院。

黄金寺院では本殿だけでなく別の場所でも演奏が行われることがよくあった。

ヒンドゥスタンメモ
「ヒンドゥスタン」はインドの別名で意味は「インド人の国(土地)」
広くはバングラデシュ、ネパール、パキスタンを含むインド亜大陸全域を指す。
ヒンドゥー語は「インド語」、ヒンドゥー教は「インド教」の意でおおむね合っていると思われるが、語源はペルシャ語でインダス川を意味する「ヒンドゥー」から。
ヒンドゥー=インダス川とその向こう側(ペルシャから見て)
インド(India)もヒンドゥスタンも外からの呼び名(日本におけるJapanに相当)で、正式名称はバーラト(バーラタ)。