2021年9月9日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその4

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【インド最南端カニャークマリで】

ホテル・ファイブラタのお母ちゃんが作る不味い朝食を何故かまた食べてしまう不思議。そして大きめのコップに注がれたチャイ安定。

昨日の葬儀の続きで朝から太鼓と爆竹と人々の声が続いている。昼前に宿を出てバス乗り場まで向かうが、爆竹の残骸と花びらと花束が道に途切れることはなかった。バス乗り場が町の中心にある寺院の正面にあって、おそらくそこまで皆で亡骸を送ったのだろう。

バス乗り場に11:30頃着。バス停のインフォメーションに張り出してある手書きの時刻表を前日にチラッと見た記憶では、この時間から1時頃までにバスが3つ4つあったから余裕ぶっこいていたが、バス停のインド先輩達に尋ねると「チェンナイ行きは一時だ」と言う。時刻表を見間違えたかと再度確認したが記憶の通り何便かある。「ここにもっと早い便が書いてあるけど違うの?」と私。「チェンナイ行きは一時だ。問題無い。A/Cバスだぞ。お前はジャパニーか(にこにこ)。」とインド先輩達。僕が日本人だったり、バスが冷房付きかどうかはどうでも良い。問題は時間だ。
これは何かおかしいと2、3度同じ事を尋ねるうちに、バスは13時にマハーバリプラムに到着して出発は13:40だという新情報をゲットした。これは問題だ。チェンナイ・エグモア駅発カニャークマリ行き列車は17:30。バスはチェンナイ・モフジール・バスターミナス(ターミナルをターミナスと言う。略してCMBT。地名のコヤムベドゥと言わないと通じない事がある。)まで約二時間。CMBTからエグモア駅までは路線バスで30分。上手く乗り継げたとしても、途中で渋滞したりバスが軽く故障したらアウトじゃないですか。

インド先輩に何度訊いても「無い」と仰るのだから無いのだろう。なるようになる、と半ば投げやりでバス停前のレストランでクソうまいチキンビリヤーニをガツガツ平らげてパイナップル果汁とヨーグルトのミックスジュースをちうちう。でも、やっぱり引っかかる時刻表。食後、やってくるバスに一々「チェンナイ行く?」と訊きまくる。するとどうだ12:50頃にやって来たバス(A/C無し)がチェンナイに13:20に出発するって言うし!しかもエグモア駅から近いチェンナイ・セントラル駅行きで願ったり叶ったり。
バス停のインド先輩達が13:40発を推したのは「外国人だから快適なA/Cバスが良いだろう」と気を使ってくれたからだと思う。これがインド人の良さでありインド旅行の楽しさだと言える。徒歩30分の距離を「あと少しだ。頑張れよ!」という励ましの意味で「あと5分で着く。」と教えられて迷子になった旅行者の話しを聞いたことがある。多くのインド人はとても優しい。ただ優しさの表現が世界標準と違う場合があるだけだ。

インド先輩達の優しさを乗り越え、また助けられながら、セントラル駅から路線バスに乗り換え、理想的な時間にエグモア駅着。列車は定刻に出発し、インド最南端のカニャークマリを目指して、スーパーエクスプレスのくせにアクビが出る様な速度で巡行していく。

今回の僕の座席は寝台下段。これでインド鉄道スリーパークラス寝台上中下段をこなした。感想は、最も快適だと思っていた上段を確保しなくても特に問題無い。それぞれに一長一短あり、どこになろうとノープロブレムだ。列車に乗りさえすればインド先輩達との楽しいひと時が待っている。

インドの車窓は今のところどこも代り映えしないが、稀に気になる山や寺院が見えて「ガイドブックに載ってねえよ!ここで降りてぇ。そして近くで見てぇ。」となることがあったり。

6:30にカニャークマリ駅に到着。予定では6:50着のはずだ。またもや到着が早すぎる。どうなっているのか。

ガイドブックを眺めながら、しばし駅舎で時間を潰す。南インドでは宿のチェックイン時刻から24時間滞在する権利が得られる方式で、つまり朝の7時にチェックインしたら翌朝の7時までにチェックアウトしなければならない。なのでなるべく無理のない時間帯にしたかった。と言っても面倒臭くなって8時にチェックインしたが。
宿はN.R.S.Lodge(南部では安宿はロッジとなっていることが多い。またHotelと書いていても宿泊施設の無いレストランであることが多々ある。)ダブルルーム250ルピー。何件か寄ってみたがここが若干安かった。多人数での参拝客が多いからシングルルームがあまりないみたい。部屋は値段以上に清潔で広く、屋上からの景色も良いが、少々高いので明日は引っ越す予定。

チェックイン後はほぼ切符を買う作業に費やされた。カニャークマリの次はアウランガバードに滞在し日帰りでエローラの石窟寺院へ通う予定だが、カニャークマリからアウランガバードへの道のりが厄介だった。直行便は無い。なので大きい駅をいくつか経由する事になるが、程よいルートは全てウェイティングリスト(WL)40~50、多いところだと100を超えている。日をずらしても土日のせいか逆に数が増える始末。カニャークマリはこれまでのインドで一番お気に入りの場所になりそうだが、丸一日で全部行き尽くせるくらいの小さな町に長居する訳にもいかず。少々きついが47時間超えのカニャークマリ→ムンバイに乗って、ムンバイからアウランガバードに列車かバスで向かうルートにした。これなら3/31の便でWL15だった。つまり15人分のキャンセルが出れば僕に席がまわってくる。運が悪けりゃ席が無い、という程度の数なので気は多少楽だが安心はできない。

切符奪取活動を一旦休止し観光へ。

綺麗な教会。またもや葬儀に出くわした。遺体と共に大勢の参列者が教会に入った後、タミル語?のレクイエム?が聞こえてきた。インド人の神父は新鮮。

町の東側の海岸沿いに漁師町あり。

「左がベンガル湾で、真ん中がインド洋で、右がアラビア海。」と聞くとありがたく感じられる場所。ここは三つの海の合流点だそうだ。加えて沐浴(海水浴)するインド先輩達。

町の西側でアラビア海に沈む太陽。
夕日が雲に隠れても動こうとしないインド先輩達。沈む太陽に思いを馳せるのは万国共通か。

----- 中略 -----

インターネット屋(WiFi有り)にあったカレンダーは縦読み。

インド人memo:インド人は水を飲む時ペットボトルを口に付けない。上を向いて口から離して注ぎ込む。列車ではそうやって回し飲みしているのをよく見かける。飯を食う時は、外国人が来る様なレストランではスプーンが出てくるが、インド人はそんな店でも手で食べる人が多い。他人の口がついた物、あるいは他人も口をつける可能性がある物に口が触れることを不浄と考えているのだろうか。
にしても、僕が手で食べていると稀に「おい、ジャパニーが手で食ってるぞ。」「本当だ。ジャパニーが手で食ってる。」と陰でこそこそ言うのは何故だ。お前らが手で食ってるんだろ。
手でクチャクチャとカレーとご飯を混ぜて食べるのが楽しくて、ついやってしまう。


【インド最南端カニャークマリで2 】

午前五時半に起床。とても眠いが朝日を見るために頑張った。ここカニャークマリでは、夕日が海に沈むだけでなく、朝日も海から昇る。
動きがスーパースローな寝ぼけた状態で支度をし、宿を出る頃には空が仄かに明るくなっていた。まだ6時になっていないが既にチャイ屋にはチャイを飲む客がたむろしており、日の出を見物しにいそいそと海岸へ向かう家族連れも多数。

日の出を待つインド先輩達。その中を100m先まで響く声で「チャイチャイチャイ、チャ~!」「コッフィコッフィコッフィ~!」とタンクをさげて売り歩くチャイ屋とコーヒー屋(南インドにはコーヒーの産地があるらしい)。

水平線上に雲がかかっていて中々出てこなかった日の出。

歓喜の声、写真を撮りまくる人、海に浸かって沐浴する人、皆思い思いに日の出を楽しんでいる。写真の視界から横を向いても後ろを向いても人だらけ。これだけの人だかりでほのぼのとした空気が流れている。ザ・南インドという感じ。和む。

波が砕ける岩場に立って朝日をバックに撮影するのが流行りのようだ。若者だけでなく爺さん婆さんもバシッと決めポーズで記念撮影をしている。そしてシャッターを切る前に後ろから波がザッパ~ン!と来て「アッヒャー!」と慌てて服をたくし上げて避難する。見ていると皆そうなる。面白い。
僕が撮った日の出の写真を確認していたら横からインド先輩達が覗き込んでくるので見せてあげた。すると俺にも見せろと次々に寄って来て小さな人だかりが。「お前はジャパニーか。一緒に写真を撮ろーぜ。」と何故かインド先輩と写真を撮ったり。

海岸にあるお堂

三つ眼?カッコ良い。

海岸を裏手にするかたちでクマリ・アンマン寺院がある。写真は門の屋根。内部は撮影不可。入口手前で裸足になり、男は上半身裸にならないと入れない。カニャークマリで最も賑わうのがここの参道だ。寺院には止め処なく参拝者が出入りしている。
入口の手前の通路に座り込んで靴預かり業を営むおばちゃんにサンダルを預け(出て来た時に2ルピー支払った)、上半身裸になり、僕も入る。
参拝者が多いせいか、内部は鉄柵で順路を仕切っている。途中の受付で入場料(お布施?)を20ルピー支払って奥へ進む。

レシート

内部は薄暗く、祭壇には時代劇でよく登場する油に紐を浸して蝋燭の様に火をともした物で照明している。派手さは無く、むしろ地味だが、女神クマーリーをはじめ独特のオーラを放つヒンドゥーの神々が祀られており、参拝者は熱心に祈りを捧げている。

今日は宿を移動した。昨日、参道をフラフラ歩いている時に雑談した爺さんがJothi Lodgeという宿のオーナーで、部屋を見せてもらったらダブルルーム200ルピーで悪くなかったので決めた。ちなみに150ルピーのシングルもあったが、風通しの悪い一階の薄暗い部屋で、ノミやダニがいそうだったからお勧めできない。

カニャークマリは4、5月がハイシーズンらしく、この宿ではシーズン前の準備中で、ペンキ屋が狭い階段に座り込んで鉄柵に白いペンキをダラダラと塗っている。柵に塗ったペンキもダラダラして階段に垂れまくっているがインドではノープロブレムらしい。
ペンキといえば、コルカタの街中の街灯や柵に塗装中のペンキ屋を見た。彼らは刷毛を使わず、布切れを団子状に丸めた物にペンキを浸して素手でペタペタと少しずつ塗っていた。カニャークマリの某工事現場では、ビルを解体(改装?)するのに電動工具で壁をドカドカ砕いている傍ら、片手用の金槌で実にのんびりとカン!コン!と柱を削っている人がいる。十階建てくらいあるビルの一階の、しかも構造体を破壊するのは非常に危険な行為だと思うがノープロブレムか。柱の表面だけ削って化粧直しをするならまだ分かるが、芯まで砕いて気持ち程度に入った鉄筋が剥き出しだったから、既にその柱はビルの自重を支える役目を放棄していたので見ている僕が手に汗握る。
この様な労働者の仕事っぷりを眺めていると、ここはインドなのだと改めて確認することができる。

本日はついうっかり衣類を買い込んでしまった。ルンギーという巻きスカートで、南インドでは男性の定番スタイル。寺院の入口付近でオレンジ色のを見つけて150ルピーで衝動買いし、すぐさま洗って乾かして腰に巻いてみると、これが中々心地良い。その後、ルンギースタイルで海岸を散歩中に露店のルンギー屋を発見し、赤の花柄ルンギーを210ルピーで購入。ただ後から買った方は、長さがオレンジ色の三倍はあるんだが本当にルンギーか?おっちゃんがルンギーだと言っていたからそうなんだろうが、花柄のルンギー装備のインド先輩を未だかつて見た事が無い。女性用じゃないだろうな。

ラベルは信頼?のガンジー爺さん。

僕がルンギーを巻いて気分良く散歩していると「ジャパニーがルンギー巻いてるぜ。」「本当だ、ジャパニーがルンギー巻いてる。」と友達同士でこそこそ話してこっちをジロジロ見ながらニヤついている奴がいる。珍しいのか。 

つづく
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その他の写真

カニャークマリ行き寝台車両の夜明け

カニャークマリの町並(西側)

カニャークマリの日の出

チャイメモ
茶は中国が原産地で「チャ」もしくは「チャー」。
それが訛ってインドでは「チャイ」もしくは「チャーイ」。
中東やバルカン半島、中央アジア、コーカサス、トルコ、おそらくロシアでも「チャイ」またはそれに近い語になっている。はず。

2021年9月2日木曜日

バックパッカースタイルで行くEVE Online(インドその3

EVE宇宙をソロで闊歩するガイドとして企画された『バックパッカースタイルで行くEVE Online』は私が書いた旅行記を「原文ママ」で公開するものです。
価値観や文化の違い、詐欺師や海賊プレイヤーとのやり取りなど、私の旅行記を通して自己流のやり方を掴んでいただければ幸いです。Fly Safe o7

※ただの旅行記がEVE Onlineと何の関係があるかは
旅行記で展開されるストーリーをEVEに当てはめてみれば、それ即ち「This is EVE」
毎週木曜日18時更新。全30話以内に納まる予定。
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【プリーからマハーバリプラムへ】

一歩も外へ出ることなく生活可能な大変居心地の良いサンタナロッジを後にし、プリーからマハーバリプラムへ移動開始。宿を出てすぐサイクルリキシャ(自転車タイプの人力車)でプリー駅へ30ルピーで。

なぜか混んでるプリー駅。そう言えば昨日は何となく町が賑やかだった。祭りか何かあったのかも。

ブバネーシュワル駅までは最低ランクの車両に乗る。天井の扇風機の数が車内の暑さを物語っているが、乗客が少なくて約二時間の移動は案外快適。

ほぼ予定通り17時半にブバネーシュワル駅に到着。問題は21:35発のチェンナイ行きまでの4時間をどう過ごすかだが、これといって案が無い。荷物を担いだまま散歩するわけにもいかないので、駅前の露店でチャイを飲み、車内食用にバナナを一房買って駅内の二等待合室(一等は冷房あり)で時間を潰す。

----- 中略 -----

列車到着時刻40分前から焦る。駅の入口の電光掲示板を見ても何番ホームに着くのかよく分からん。列車のプラットホームの欄は全て「A」と表示されている。この駅は4番ホームまでしかないからまだましだが、にしてもハウラー駅発の列車が到着してブバネーシュワル駅を出るまでの15分間に自分の車両を探して乗り込む余裕があるとは思えない。ホームごとに設置してある電光掲示板にそのホームから発車する列車だけ表示してくれたら容易に特定できるのに、なぜか近々発車する全ての列車が表示されるので参考にならない。なので足を使って地道に聞き込み調査をする。
軍服を着た軍人さん(インドでは鉄道が軍の管轄らしく、駅の警備は軍が担当。)や雑談中の駅職員や品の良さそうな乗客に僕の切符を見せて、どのホームで待つのが正解か確認。総合すると4番ホームが正しそうなので向かう。
20分遅れでやってくるチェンナイ行きの列車が到着する5分前から、ヒンズー語?とタミル語?と英語の三言語による放送で4番ホームに来ることが確認できて安心。インドは結構居心地が良いけど、列車に乗る時だけはストレス溜まる。

今回の僕の座席は寝台の中段。インドの三段寝台の説明をすると、上段は常にベッドとして使え、中段は寝る時に引き上げて鎖で吊るしてベッドになるが昼間は下段の背もたれ、下段は就寝時刻までは皆の座席。つまり寝台とは言え上段以外は起きているうちは座席車両と変わらない。それに上段の客も下に降りてくるし、ウェイティングリストで座席の割り当てが無いまま無理やり乗り込んで来た人や友達同士で一つの座席をシェアしている方々も存在するので、1つのシートに4人座ったりする。巨体のインド人が一人でも入れば密着状態だ。
と、こう書くと不快指数MAXと感じるだろうが、これがインド的助け合い精神で不便さを軽減する。上段の人が下段で座っている時、寝たい人が「オレ上で寝て良い?」と言えば「いいよ」と当たり前の様に自分の席を他人に使わせる。下段が二人の時は他人同士で添い寝も余裕。あと、昼食後は昼寝をする習慣があるようで、その時は中段をベッドにして皆寝よ~ぜ、になる。下段に座ってウトウトしていた僕に「お前眠いなら中段を起こして寝て良いんだぞ。」と隣のインド先輩が声をかけてくれたりした。他人の持っている新聞を無許可で読み始めたり「お前の物はお前の物。でも俺も使う。俺の物は俺の物。でもお前も使って良いよ。」という文化らしい。インド的で良い。

本日のベストすやすや。

オヤツのクッキー。独特の妙なデザインの顔。表裏逆でくっついている確率高し。インドのくせにうまい。5ルピー。バター味のクッキーも食べたが美味しい。インドクッキー安定か。

車内販売について。チャイをはじめ、コーヒー、サモサ等の揚げ物系オヤツ、弁当、水やジュースなど頻繁に売り子が行ったり来たりしているので、わざわざ食べ物を持ち込む必要もない。5ルピーのチャイをガバガバ飲みながら、腹が減ったらやってきた売り子から適当に買って頬張れば良い。

自分流インド列車の楽しみ方を一通り考案した頃に、列車はチェンナイ駅に到着。インドの鉄道ではあり得ないと思っていた定刻より早く着くという現実を目の当たりにして狼狽えた。しかも30分も早い。これはこれで問題ありだと思う。

目的地はマハーバリプラムだが鉄道が通っていないのでチェンナイからはバスになる。17時にチェンナイ駅に到着したが、これからマハーバリプラムへ行くと日が暮れるのでチェンナイに一泊することにした。
第一候補はチェンナイ駅のリタイアリングルーム(大きめの駅にある宿泊施設)。リタイアリングルームは値段の割に汚い所が多いらしいが、ここはエアコン付きドミトリーが210ルピーで清潔そうだった。でも満室。ガッカリだ。
安宿を探しに駅を出る。

チェンナイ駅前で発見。ガンジー爺さん。

重い荷物を背負って一時間かけて第二候補のサルベーション・アーミー(救世軍)の宿を探すも建物がぶっ壊されていた。見つからないわけだ。建て替えて二年後にオープンするらしいぞ(近所のおじさん談)。

疲れてクタクタだったので、第三候補のパレスロッジまでオートリキシャ(東南アジアでいうトゥクトゥク。車両はインドのTATA社のものだと思うから本家はこちらか。)でワープする。50ルピー。早くて楽。安楽は金で買え!
パレスロッジ、空室有り。シングル155ルピー。設備はお値段通りか。宿泊客が僕以外インド先輩のみという状況は初だったので、そういう意味では良かった。


【マハーバリプラム観光】

朝一で切符を買うお仕事。インドの鉄道では当日券が手に入り辛い事を学習した僕は、先手有利ということでマハーバリプラム後の目的地、インド最南端のカニャークマリ行きの切符を確保することにした。
始発駅のエグモア駅に行くも、予約窓口は日曜日のためか閉まっていた。なのでチェンナイ駅(正確にはチェンナイ・セントラル駅。こことエグモア駅は別路線で繋がっていない。)へバスで行く。
チェンナイは大きな街で、多くの路線バスが運行されているので便利だが、いかんせんどのバスがどこを通るのか分からない。バス停に行っても路線図など無いので適当に飛び乗ってインド先輩に訊いてみる。「このバスはチェンナイセントラルステーションに行くか?」「行く。問題無い。」安心して座席に座る私。運賃を集めに来た車掌さんに行き先を告げる。「このバスはチェンナイセントラルステーションには行かない。急いで降りろ。」キタコレ。第一インド人の言うことは疑えの法則。守らないとこうなる。

明後日の方向に走り始めたバスから飛び降り、正しいバスを探しながら歩いているうちに駅に着いた。やれやれ。
西側駅舎の二階の奥まった所にある外国人用窓口でブレイクタイム中(インドでは就業時間中にブレイクタイムという優雅なものが存在し、例え客が長蛇の列を形成していようが「じゃぁ!」とも言わず、おもむろにチャイを飲み始めたりどこかへ消えたりする。)の職員を20分待ち、戻って来た途端に停電になり5分待った後、手早くちゃっちゃと発券手続きを済ませていただけた。

宿がエグモア駅から近いので、エグモア駅行きのバスを探す。今度は複数のインド先輩に訊いた。最も正確な回答を頂けたのがバス停付近でキオスクを営む青年で、「17番のバスだ」と言った休憩中のバス運転手の回答を覆した。「17番のバスもエグモア行くけど遠回りになるよ。15Bが直行するからそれに乗ると良い。」インドでも中国同様に若くて頭の良さそうな人に訊くのが間違いなさそうだ。

約2kmの距離を3ルピー。安い。

宿に戻って支度。次はマハーバリプラム行きのバスが出ているターミナルへ。27Bのバスで終点。
バスターミナルはデカイ。そして不案内。案内板はインドの言語のみで書かれてあるので、何番のバス停から発車するのか分からん。でインド先輩達に質問する。「マハーバリプラム行きは何番だ?」「こっちじゃない。外のバス停だ。」と言って路線バスの停留所を指差す第一インド人。外に出て別の人に訊く。「マハーバリプラム行きはこっちか?」「こっちじゃない。中だ。」と言う第二インド人。中に戻った僕に「どうした?どこに行きたい?」と声をかけてくれた第三インド人に行き先を告げると「こっちへ来い」と案内板の所へ行ってインドの文字で書かれたものの中からマハーバリプラム行きを見つけてくれた。「2番口の6と7番からだ。」合っていた。ありがたい。記憶ではここには6番口まであって、それぞれ20以上の発着場が連なっているから自力で探し出すのは容易じゃない。

飲みたくない水飲み場

一時間待つとバスが到着。さらに30分でバスが発進した。
縦に鋭く揺れるバスに乗ること二時間。マハーバリプラムの中心部にあるバス停に到着。
下車後、声をかけてくる老人あり。通常ならスルーするところだが、何となくピンときたのでついて行くことにした。宿を決めていなかったし、一泊200ルピーで値段もまずまず、何よりこの爺さんなら大丈夫と思える何かがあった。
爺さんのスクーターに乗って町の南の外れへ。爺さんの家らしい。敷地内に宿泊施設を設けて客を募っているようだ。Hotel Five Rathasという名前。南インド寺院建築の原型と言われるこの町の観光スポット、ファイブラタからとったらしい。場所も近いし。
爺さんのホテルは閑静な住宅街にあり、超絶のんびりしていて今のところ問題無い。今回の旅行で初の蚊帳が標準装備なのも良い。蚊が襲って来ない。凄い!夜間、停電中と通電中の時間が同じくらいだが爺さんのせいではない。

荷物を放り込んで観光へ。

爺さん家の近所の外壁に設置してあった。何かよく分からんがカッコ良い。

小さなお堂で。

落ちそうで落ちない系の岩。クリシュナズ・バターボールというらしい。ヒンズー教の神であるクリシュナがバターボールでも切るように岩をスパッとやった、とかそんな感じ?

アルジュナの苦行。どんな苦行なのか理解するほどじっくり見ていない。象のみに着目していた。

ヤギ多め。牛おらず。稀に猿。

灯台の上から。

爺さん家の近く。この辺りで雑貨屋を営む婆さんは、1リットル16ルピーの水に対して20ルピーを渡した僕に、手をプルプルさせながら「1ルピーオマケだよ」と5ルピー硬貨でお釣りをくれた。釣銭が無かったらしい。懐かしい駄菓子屋の風情だ。

ファイブラタの方へ散歩に行った時に路上で製作販売中の爺さんから買った手作り革サンダル。値段を訊いたら1,500ルピーだとかましてきたので「高い!」と言って去ろうとしたら追いかけて来て交渉開始。300ルピーで購入。適正価格は200ルピー。もしかすると100ルピーを切るかもしれないが、僕にとっては300ルピーの価値有りと判断。カッコ良い。

散歩がてらファイブラタまで行ったが、入場券が海岸寺院とセットで250ルピー。くそ高い。時間も無いし明日行くことにした。見所は残す所これくらいなので多分行くと思う。


【マハーバリプラム観光2】

宿のお母ちゃん手作りの朝食で一日が始まった。カレーが注がれた皿に蒸しパンが五つドカドカのせてあるもの。60ルピー。まずい。チャイ屋の大カップ2杯分は軽く入っているチャイは20ルピー。チャイは僕を裏切らない。ウマし。

ビーチで散歩。ベンガル湾の景色が良い。プリーと違ってウンコが落ちていないので海水浴可能だが、町の規模から下水道が無いと思われるので見た目より水が汚染されているかもしれない。

散歩がてらインターネット屋を探す。二軒中一軒にWiFi有り。一日料金で200ルピーもするのでiPhoneで繋ぐのは諦めた。WiFiの場合は店の外に出てから繋げる奴がいるので、一時間いくらというコースは無いらしい。
仕方なく一時間40ルピーのデスクトップPCを借りるも頻発する停電のため20分しか使えなかった。30ルピーに割引いてくれたが割に合わない。田舎だから仕方がないのか。

250ルピーのチケットを購入し海岸寺院へ。写真に写っているものが全てだと言っても過言ではない。寺院に施された彫刻は風雨で削られてのっぺりとしている。

岩を大雑把に削って漆喰で装飾していた痕跡か。

御本尊のリンガ

町の中心部に位置する寺院の塔門。結構立派。

塔門前で良い牛を発見。

250ルピーの元を取ろうとファイブラタへ。ここも写真に写っているのが全てだと言っても過言ではない。二つ合わせて50ルピーにしてもらいたい。ちなみにインド人価格は10ルピー。

草間彌生さん風の赤の水玉模様が強烈な呪文を発しているようだ。海岸寺院やファイブラタよりこっちの方が断然良い。僕にとって遺跡の類は、人類の営みがあったことを証明し、そこにロマンを感じたりはするものの、すでに一度捨てられた物であり、感動よりも虚しさが先行して妙にしんみりとしてしまう。それよりもそこら辺に当たり前に在る血の通ったものが好ましい。何百年、何千年前の物が未だに残っていることは偉大ではあるが。

朝から太鼓の音がしていると思っていたら葬式だそうだ。
宿の近所で今朝亡くなった方がいたようで、これはこの辺りのお通夜の様なものらしい。地元のおじいさんが言うには、明日の朝にあの世へ魂を送るとのこと。
「写真を撮って良いか?」と聞くと「おぉ、撮って良いよ。問題ない。」と言う。「太鼓に合わせて踊って良いよ。」とも言っていた。どうやら死者を賑やかに送り出す系の文化のようだ。白シャツに白い巻きスカートの爺さんが歌いながら音頭を取り、太鼓隊がそれに合わせる。手前にはテントを張り、プラスチック製の椅子が30脚ほど並べられ、近所の連中が雑談しながら太鼓の音色を聴いている。辺りには爆竹の残骸が散乱。
ここはファイブラタへ通じる道だが、片側を通行止めにして路上で執り行っていた。

カッコ良いオートリキシャ。ナマステ!

つづく
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その他の写真










リキシャメモ
日本から持ち込まれた人力車が庶民の交通手段として定着し「リキシャ」もしくは「リクシャ」と呼ばれるようになった。
後、自転車で引く人力車「サイクルリキシャ」、小型の三輪自動車タクシー「オートリキシャ」が誕生。